カタルーニャのモデルニスモ/Modernisme
バルセロナ大学(現在のUB)
1973年撮影
こういった都市計画上の先駆的な提案があったにもかかわらず、19世紀後半の建築界の様子は、マドリーのハレーニョ(Francisco Jareño y Alarcón,1818〜1892年)の国立図書館(1866〜1896年)やバルセローナのロージェント(Elias Rogent i Amat,1821〜1897年)のような折衷主義的ロマンティズムに溺れ、これといったものを生み出さなかった。
ピカソが死んだ日には大学も半旗が掲げられた。
ところがカタルーニャでは、最後の25年間というもの木綿工業によってもたらされた莫大な富に、カタルーニャ有産階級は巨大な建物を要求していたのである。
当時のカタルーニャは左翼のカタルーニャ主義連盟、右翼のカタルーニャ地方主義同盟ということに見られるように、政治的見解のいかんによらず、いずれもカタラニズムに走っていたし、文化的にはカタルーニャの栄光時代である中世へと目がむけられ、カタルーニャ・ルネッサンス(Renaixença)が唱えられていた。
こういった背景というものがパリやブリュッセルのアール・ヌーヴォーのカタルーニャ版と呼ぶには不適当なほどに個性的なモデルニスモ として建築・美術・工芸全般に育ってゆくのである。
カン・ネグレ階段室見上げ、ジュジュール
コロニア・グエル地下聖堂ステンドグラス、ガウディ
マシア・フレイシャ、モンクニル
Les Punxes、プーチ・カダファルク
カサ・ビセンス、ファサード詳細、ガウディ
オロットの家、ドメネク・イ・モンタネール
ジローナの家玄関詳細、ラファエル・マソ
マジョルカ島パルマのパン屋、作者不詳
バルセロナのどこにでもあるモデルにスモの装飾
グエル公園市場天井モザイク、ガウディ
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より