バルセローナのセルト/Sert

トーレスクラベはいたたまれなくなり、戦場へ出で、しかもあっけなく戦死してしまう。一方親友のセルトはパリの伯父をたよって亡命、その後アメリカへ渡っているが、このセルトのバルセロナへ返り咲きした作品
ミロ・ファンデーション

工事中のミロ・ファンデーション

1975年工事中に立てられた看板

完成時のミロ・ファンデーション

メイン・アクセス

パティオ

屋上の展示スペース

企画展示室 展示室のトップライトの取り方はは南フランスにデザインしているマエ・ファンデーションと同じ。


Saint Paul de Venceのマエ・ファンデーション


同展示室のトップライト
1975年7月撮影

同メインエントランス
1975年7月撮影

セルト、イ・ロペス、ジョセップ・リュイス(1902-83年) Josep Lluis Sert i Lopez
バルセローナの建築学校で学んだ後、パリのル・コルビュジェの事務所で学ぶ(1929年から30年)。この時期前川國男と席を並べた。帰国後はスペイン版CIAMとでもいうGATEPACを設立し、現代建築運動を繰り広げる。第二次共和制政府時代(1931から1939 年)に進歩的な作品をいくつかGATEPACとして残すが、フランコ政府樹立のときアメリカに亡命。フランコ没後に帰国し、さらにバルセローナでいくつかの作品を残している。
TOTO出版「我が街バルセローナ」より
P242