グルーポR

一方バルセローナでは1950年頃“グルーポR ”が結成され、地方主義をおし立てながらこの合理主義の再考が計られた。ジリ(Joaquín Gili,1916年〜)、モラガス(Antoni de Moragas,1913〜1988年)ソストレス(Josep María Sostres,1915年〜 )、ボイーガス(Oriol Bohigas,1925年〜)、コデルク(J. Antonio Coderch,1913年〜 )らが、そのメンバーで展覧会、講演会の主催でほぼ10年間、カタルーニャを中心とした建築の再興に尽力している。
239ページより

アントニ・デ・モラガスの映画館Cine Fémina(1950-52)

現存しない。
建築家である息子が

ジョセップ・マリア・ソストレスのパーク・ホテル(1950-54)


以下2011年6月22日撮影


このホテルはかつてのテルミノ駅で、俗にフランス駅という名前の駅のすぐ前にあります。71年7月最初にバルセロナに着いたとき、もちろんこの駅に着きました。道中に学生から聞いた駅前にペンションがあるというので、そこに泊まりましたが、Fonda Rius、Park Hotelのすぐ横でした。今、ペンションはやっていないようです。

Fonda RIUS、右隣がPark Hotelです。

エル・ノティシエロ・ウニベルサル新聞社(1965年)


2011年6月21日撮影

オリオール・ボイーガス(MBM)のパージャールス道りの集合住宅(1958‐59年)