レウスへ行きました


サン・ペラ教会外陣外壁

2011年6月24日
昨夜はサン・ホアンの火祭りで今日は祭日。明け方まで花火が煩くて熟睡できなかったけれどこの休日を利用してレウスへ。レウスには1972年依頼何度も足を運んでいるけれども、実はレウスの人たちがガウディが生まれたとされる家、学んだとされる学校など見ていない。それにサン・ペラの教会も実は一度も中に入るチャンスが無かった。レウスではガウディ・センターというガウディをプロモーションするための市の施設の展示構成を手伝ったりしているので通ったのだが仕事となるとこれまた寄り道ができず、着けば現場に直行、終わればすぐにバルセロナに戻るという事で、色々な事を見ずじまいであった。バルセロナからは1時間に1本ぐらいの急行があるが、何しろ単線の部分もあるので1時間半以上かかる。しかもネットに出ている時刻表が間違っていて、更にパセオ・デ・グラシアの駅で30分以上待たされた。バルセロナからだとZaragoza行きになるのだが、遅いけれども結構快適な旅だ。この時期になるとバルセロナ南の海岸沿いの浜に出かける人で結構混むはずなのだが、さすがに昨日のサン・ホアンのせいで人も少ない。
駅から街中まではちょっとあるが歩いて、まずガウディの生まれたという家を探す。しかし、これは貧相な家だ。今でこそ保存されているので他の家よりもファサードパステルカラーのペンキが塗ってあってきれいだけれど、作りは極めて貧相なものだ。3階建てといっても間口も狭く、奥行きは分からないけれど、良くあるタイプで裏に若干庭があり、これにイチジクの木でも植えられているのではないか・・・。何しろ入ることはできないようだ。周りには同じような家が建ち並んでいる。すぐ近くのちょっとした空き地には道で遊ぶ幼少のガウディをモチーフにしたモニュメントがある。生まれた家だけではさすがに観光客も呼べないだろう。
レウスの町は観光局がガウディのルートというのを開発していて、ガイド付きでこれが見学できるが、これに役立つだろう。しかしモデルニスモのルートというのもあって、これも中々うまくできている。町中にあるモデルニスモ期の遺産もなかなかのもので、何らかの市役所の援助でもあるのか、ほとんど全ての建物の保存状況がいい。残念なのはドメネク・イ・モンタネールのナバス邸で、これは爆撃でコーナー部にあった塔や屋根自体も無くなっているが、最近ではトリビューンの部分が剥離落下しているのだろう保護のためネットがかぶっている。ナバス邸は中に入れてもらったこともあるが、オリジナルの状態で一番良く当時の状況を残しているモデルニスモ時代の建物ではないだろうか。といっても最近頑固に改装や売却などを拒んでいたオーナーが死んでしまい、今後この建物がどうなるかは分からない。市役所が買収の話を延々と続けているのだが未だに決着は付いていないようだ。
今回の収穫はこのナバス邸でガウディの幼友達Eduardo Todaが生まれたと分かった事だ。Todaの生地であったのは知っていたが、まさかここでとは知らなかった。最近やっているカイロの国立文化博物館の仕事で、このTodaが1886年盗掘にあって無く完全な姿で見つかり発掘したSennedyemの墓からの埋葬品を今カイロ博物館でバラバラになって展示されているのを、再度一つのショーケースに集めようとしているところだったので、感慨だった。
ナバス邸は街中の広場にあるので、そこを通ってサン・ペラの教会へ、ここではガウディが洗礼を受け、両親が結婚式を挙げたところでもある。途中にCentro de Lecturaと書かれたネオクラシックの建物があるが、これは晩年までガウディがここの会報を定期購読していたことで知られている。ここは言ってみれば読書クラブのようなもので、劇場もなかにある。結構活動はあるらしく、ペンキの塗りたてらしく外装も小ぎれいだった。
サン・ペラの教会は何時も閉まっていたので入ることができなかったが、今日は偶然にもサン・ペラの日とかでこの辺りの地区のお祭りで、そのせいか教会も大門が開けられているのかと思ったらどうもツバメが堂内に入り込んだらしく、これを追い出そうという事らしい。教会はリブ・ヴォールトが不整形に並べられていて、寸詰まりという感じのプランである。増築を重ね、もうこれ以上は伸ばせない・・・。ということだろうか。期待していた鐘塔へは登ることができなかったが、入ってすぐ左手には鉄格子に囲まれた洗礼盤がある。ここでガウディは洗礼を受けたのだろう、装飾もなく、ずっしりとしたたぶん教会よりも古いものだろう。
教会を出て今度はガウディが勉強した学校へ、Piasという慈善事業で宗教団体がやっているような学校であったが、現在は公立の学校になっていて立派なたたずまいである。祭日でこれも入ることができなかった。
最後の目的地はMisercordiaの教会。サントゥアリ―でレウスではガウディは仕事をしていないのでが唯一この教会の改装の依頼があり、スケッチを一枚残している。なぜガウディが故郷に錦を飾れなかったというと、当時の市の建築官がドメネック・イ・モンタネールを敬愛していて、仕事があるとすぐにガウディを差し置いてドメネクに仕事を回してしまったからだ。そのおかげで、ドメネクの作品が一番たくさん残っているのはバルセロナだが、その次はこのレウスの町だという不思議なことになっている。
さて、教会の方に足を向けようとしたら、太陽の日差しが厳しくなってきて、そろそろお腹もすいてきたので、連れ合いとサボろうかという事になった。この教会は去年ガウディ没を記念してのミサが開かれたときに、行っている。あの日も暑かったのだが、今日は更に暑い。
昼ご飯は市の中心部にあるFerreteriaこれは名前の通り金物屋さんだったお店を相当オリジナルの部分を残し、レストランにしてある。ここで定食を食べる。15ユーロだが頼んだここのところカリフォルニアのワイン評論家が絶賛してから値段が馬鹿に上がってしまったPrioratoのものを頼んだので、こちらの方が高かった。昔はPrioratoというのは量り売りで買うものと決まっていて、樽で寝かせるなぞという事はなかった。これはワイン評論家というのが腰の弱いワインばかり飲んでいて、こういうものを飲めば、これが本当の地酒だと思うのは当然、これをこねまわすと彼が最初に飲んだあのインパクトは無くなってしまうと思いますがね・・・。