少年時代の終末

しかしこの三人組のこの計画もまもなくリベーラは孤児になってしまい、親戚のいるアルメリアへ移住し、トダもマドリッドへと勉学のためにレウスを去ってしまうことで破れてしまう。いずれにしろ実現されたわけではないこの修道院計画自体に重要性があるわけではないが、1868年から70年にかけてのこの企てはアントニにとって大きな転機であったのには違いない。幼年期の釜師の庵での自然や小動物の観察、上級学校に入ってからのローマ遺跡の見学、児童劇の大道具製作、学校誌の挿画、修道院修復計画、そして1870年には17歳で建築家を志して主都バルセロナへ出かけるからである。

エジプト大使だった頃のトダ、カイロ博物の中でファラオの衣裳をつけて撮影している。どうもこの辺りがトダの胡散臭いところかもしれない。

ビラノバにある博物館Biblioteca Museu Victor Balaguerにあるトダの胸像


手書きの学級誌”アレルキン”Salvador Villaseca博物館蔵、Gaudi Centreに展示