学生ガウディ

当時のガウディはこう考えていた。『様式の誕生は単にいくつかの美学的理念の所産ではなく、それを結果とする政治形態、社会体制に、そして繁栄に由来するものである。』と。それゆえ彼はドグマを振りかざす講義には興味がなく、むしろ歴史や経済というものに関心を持っていたのである。かれは正規のカリキュラムではないミラ・イ・フォンタナルスManel Milà i Fontanals, 1818 – 1884)の美学、ロレンス・イ・バルバ(Xavier Llorens i Barba, 1820-1872)の哲学に出席するのが好きで、むしろ建築のカリキュラムには興味を示さなかった。反面図書館にはよく通い、蔵書を読み尽すほどに読み、そのなかでもヴィオレ・ル・ドゥックの“建築事典”と“フランス家具事典”(Eugène Emmanuel Viollet-le-Duc 1814-1879、Dictionnaire de l'architecture française du XIe au XVIe siècle (1854-68), Dictionnaire raisonné du mobilier français de l'époque Carolingienne à la Renaissance (1858-75)、ロペス・デ・アレーナススの“白の木工”(López de Arenas, Carpintería de lo Blanco)が愛読書であった。ヴィオレ・ル・ドゥックの著作は当時全ヨーロッパで読まれ、学長のロージェントもそれに傾倒していたし、後のガウディにも大きな影響を与えることになるが、もう一方の書にはムデハル様式の装飾模様がたくさん掲載されていて、それが強い印象を与えたといわれている。しかし、ガウディ自身のアラベスクに対する意見は『それはアレクサンドリア幾何学の成果であり、アラブ人がその普及を遮った。』というものであった。

ヴィオレ・ル・ドゥックの“建築事典”

ロペス・デ・アレーナススの“白の木工”