日誌 Part 2

1月4日旅館カタルーニャで建築家のタイトルを手にした先輩たちに奢られてガウディは食事をとった。

現在は普通の家になっていてるようだが、ここに旅館の後はLa Vanguardiaというバルセロナに本拠のある新聞の印刷所兼編集室が1881年から1888年まであったらしく、このプレートが掲げられている。

12月1日 フォンセレに1時間、燭台ディテール。3時間ビジャールの祭壇の龕。バルセロナ学芸協会の討論会の10点のうちの6点までもがラウレンにあるからだ。それは本の文章内にあり、今日の午後の新聞Gaceta y Crónicaにある。(ガウディは学生のころからこの学芸協会の会員になっていてガウディは協会の主催のコンペに参加、家具のデザインで参加しているが、コンペのプロジェクト内容は分かっていない。)
2日 半時間フォンセレ、燭台
3日 1時間フォンセレ、燭台、このディテール。マレーラの家具を終える時間がないままに一日がたった。ビジャールのを終えねばならない。
4日 3時間、モンセラのセクションとマレーラの家具、それと1時間半ビラルデイのショーケース。(Vilardellの薬局のためという説もあるが不明)
5日 45分フォンセレ、燭台。マレーラの家具、それとパドロス・ボーラスの2度目の図面。
6日 フォンセレの燭台に1時間。3時間ビジャール。モンセラ祭壇の龕のセクションとマレーラの家具。
病院の課題はプロジェクトのすべての普遍性を見抜けなかったので、他の解決法を見つけた。(76年から77年にかけて病院計画を学校の課題にもっていて、これのガウディの書いたメモが残されている。これには各国の病院のベッド数から来る建設コスト比較、またいくつかの病院のプランのメモがある)
7日 半時間をフォンセレに、もしビジャールにそんなことをしようものなら、我々に何と言うだろう。我々への払いはいいのだ。セラヤックは今日までの分を払う。ガラスの棚に14$、祭壇のプラン、セクションに4$、ファサードに5$、そして手すりこに?。
ベルギーのコッケリル家の鉄細工のスタディー。パドロス氏、ボーラス氏に手紙を書く。
グラブローサ邸の石のサイズと今後のいろいろの改良の承認。それと明日も続けなくてはならないガラス板の出どころの調査。

10日 マレーラ嬢の家具。出荷の手配
11日 4時間をフォンセレの燭台。最終的には鉛筆。マレーラの家具ディテールのプレゼ、グスタ(同級生でああるJaume Gustà Bondia1854年〜 1936年)と配管を見る途中でフォンセレの家を訪ねる
12日 何もなし。ガラス製造セン・ゴバンの営業支店(スペインでの営業は1917年なので代理店か)とマルセイユの水槽(シウタデージャの公園内の大滝のデザインにガウディは関わっていたが、マルセイユのロンシャン宮をモデルにしていて、これの水槽のこと)を知ったのみ。
祭日。フランコリのメモ、半日分の支払い請求あるいは警察へ。何でもない。フォンセレから12ドゥーロの前払金として12ドゥーロ受け取る。

14日 まるっきり何もしなかった
15日 1時間ビジャールの尖塔
16日 ビジャール尖塔と祭壇に2時間、グラブローサ
17日 ビジャール祭壇に2時間。イランソとペドラルベスへ出かける。(ペドラルベスにあった何かを見学に行った。メルカデールはここでグエイ家と関連付けているが、不明)
18日 ビジャール3時間、学芸協会の肘掛け椅子
19日 ビジャール5時間
20日 ビジャール4時間、祭壇。
21日 ビジャール3時間、祭壇裏の龕
22日 ビジャール3時間、祭壇裏の龕
23日 ビジャール2時間、祭壇裏の龕
24日 ペドロ・ボーラスとカン・アントネウスへ。(カン・アントネスは市電の新しい線の場所の名前、現在はカン・トゥネスと言われる当時の魚師の住むところ。)
25日
26日
27日 2時間半、ビジャール、2セクション。総裁を議会に訪ねる。大きな娯楽場ヴィッラ・アルカディアの決議。公共事業局にブルガーダ氏を訪ねる。別の日にアントネウス・ビーチと同名の道路の所有者である彼に図面を見に行かねば
28日 5時間、ビジャール、モンセラのセクション。ビラルデイ社は薬剤師の店のための測量でよけい測量する。それと、トルネールも同じ目的で訪ねる。そしてこのファサードをやってもらうために1時間。(メルカデールによればTonerかFornerか判読しにくいとある。)
29日 6時間、モンセラのセクション、海軍司令部。ブルガーダの公共事業局のアシスタントを訪ねる。これも全てヴィッラ・アルカディアのため。それとグラブローサ邸を訪ねる。ディエゴ・ゴンサーレス司令官へ手紙。
30日 8時間ビジャールのモンセラ、セクション、ビジャールには考え直さねばならない。彼の言葉から出る空虚を満たす為に。それが私と距離を開ける
31日 4時間ビジャール、モンセラのセクション。彼を訪ねる。それによると彼は何ら決定的な見解は持っていないようだ。考えをまとめるために、三つのアプス下部の建設には、性格なプラン付きの十分の一のディテールを作ることが必要なことを認めるべきだ。1時間フォンセレ、燭台の写しに
1877年1月1日 何もなし。カサ・ピで昼食。カサ・ピイ。ヴィッラ・アルカディアの境界線を決めるために大きなエリアで、鳥小屋、蒸気船のような物見台を作る。2ブロックを使い病院計画を試す。解決法を見つけるには最悪の案

2日 パドロス・イ・ボーラス社でヴィッラ・アルカディアのプロジェクトの展示。1時間半フォンセレで燭台。
3日 2時間半フォンセレの燭台、グラブローサ訪
4日 グラブローサは18ドゥーロを払う。10ドゥーロをマリーネに、同時にグラブローサの外ドアの許可に5ドゥーロ払う。2時間燭台のためにフォンセレ、新たに建築家になった連中からの招待で旅館カタルーニャで食事。(レイアル広場近くのHeures通り 4-6番地)
5日 屋台店をみる。リセオのレストランで遅い食事。アルガマサの仕事は続く。バラケールの甥、軍人バラケールのように監理の請負を。
6日 何もなし。終日何もしなく過ごす
10日


参考にさせていただいたMercaderの本