試練なのか学習なのか

日誌はここで途切れている。このころのガウディは粗末な服をまとい、級友たちからは課外の仕事で得た収入で両親を養っていると思われていた。建築学校の生徒は基本的に中産階級家庭の子息と決まっていた。血縁関係がなければ卒業しても仕事が来ないからだ。まだ、コンペを競ってプロジェクトを勝ち取るという時代ではなかった。
まったくこの日記からすれば、両親を養っていると考えられてもおかしくない。さすがにクリスマスの日とカタルーニャでの祭日である翌日、また1月6日のプレゼントの日で祭日である日は休んでいるものの土曜も日曜もない。仕事をした時間は書いてあるものの、自分のプロジェクトや授業にかけた時間はこれには書かれていないから更に多くの時間机に向かっていたことだろう。
12月13日フォンセレから前払いを受け、翌日(この日は水曜日に当たる)は何もしていない。これはあたかも経済的困難に疲れたかのようである。また、1月4日にはグラブローサ邸の改装の仕事を終え、18ドゥーロを受け取っているが、支払いの後、手元に残ったのがわずか3ドゥーロである。そしてこの日から日誌は付けられていない。日記の始めには、仕事をしすぎて授業に出られないことが嘆かれ、11月27日、恐らくは28日もアルバイトのために講義に出られないありさまである。
それにひきかえ建築的情熱には経済的困難とは逆に輝かしいものがある。11月25日の自己批判、12月30日、31日のビジャールへの講義的文章、これらは情熱のほとばしりであり、だいいち日誌中のわずか44日間のうちに9つ以上のプロジェクトに参加しているのである。

ガウディの日誌に何度も出てくるモンセラの修道院の内陣、周歩道部分