1/8 モンセラ

しかしこのキチガイ沙汰は、校内だけではなかったのである。既に日記で見たように自分の大学教授であるビジャール、そしてフォンセレとも数々の仕事をしているのだ。ビジャールとの仕事はバルセロナから60キロほど離れたモンセラ(Montserrat)と呼ばれるカタルーニャ最大の聖地にあるベネディクト派の修道院の修復である。この修道院は12世紀に設立されたが、ナポレオンのピレネー越えで(18世紀末)破壊され、現在までも未完成のままである。ビジャールの修復は最大礼拝堂の一部分であった。ガウディは恩師でもあり、日記でこそ痛烈な批判を加えているものの、面と向かってクレームは付けなかったようで、ドラフトマンとしておさまっていたのである。そのかいもあって、病院計画の落第点をもらった後、特別課題をもらうことで再試験を逃れることもできたのだろう。しかし重要なことは多くのガウディの伝記作家が語るように、モンセラの奇妙な岩山はガウディの造形のインスピレーションのヒントとなったらしいことである。
このモンセラの山は幅19キロ、奥行き5キロ、最高標高1241メートルの石灰岩質のハゲ山で、その造形的、地質学的な奇形から"ミイラ"、"巨人"、"死人の顔"、"ノコギリ山"と呼ばれているが、一方ではカタルーニャ最大の聖地である。伝説によれば880年に光と音を伴った光景を見た羊飼いが、近づいてみると洞窟がありこの中に聖母像が発見された。これがきっかけで、近くの司教が現象を見定め、聖像を麓の町へ運ぼうとしたところ突然異常に重くなって、司教はここにチャペルを作りまつることにした。このため12世紀にベネディクト派の修道院ができる前にも小さなチャペルや修道僧の庵が数々あり、現在の残っているもの少なくない。このうちサンタ・セシリアの教会(Santa Cecilia)はカタルーニャ・ロマネスク教会の好例である。
その僧侶の高い教養度からもカタルーニャの英知の中心とも言われている。現在では30万巻の蔵書の図書館はじめ、エル・クレコ、ピカソ、ミロ、ダリまでの現代アートのコレクションのあるミュージアムもある。後年ガウディ自身もこのモンセラで小さな作品を残しているが、この他山自体をくり抜いて鐘を釣ろうというモニュメンタルなアイディアも出したり93歳の父を伴っての参拝もしているので、造形的インスピレーションを得たかどうかは別としても、精神的、あるいは宗教的な意味での関わりを感じていたことは間違いがないであろう。


ベネディクト派の修道院が見える