サン・クレメン・デ・タウイ/Sant Climent de Taüll


特徴のあるアプス。ロンバルディア風の鐘塔、背景の山・・・・

最近はこうなっています。なぜ芝生を植えたり周りを立派にするのか私には分かりません。教会が大切なので、それを見せるようにして欲しいものです。大概のモニュメントで起こっていることですが、なぜどこでもこれが逆転しているのでしょうか。


正面は非常に質素


パントクラトール

最初に行った時の村はスレートがきらりと光り、屋根屋根が団結するように連なっていました。今はもうがっかりですね。これに見える鐘塔が村の中にあるサンタ・マリアの教会です。

サン・クレメン教会
1123年奉納。中世の力タロニァには、人口100人に対してひとつの割で、教会があつたといわれている。カタロニアに入ったイスラムと戦ってレコンキスタを遂げた入たちもいたのだが,
イスラムの教徒たちの軍事力を恐れたカタロニア人たちの多くは、遠くガリシァ地方やピレネ一の山懐にまで逃げ込んだ。この小さなタウイの村にも、2つの教会が残されているが(もともとは3つあった)、これも彼らの子孫が建てたものだ。
こんなわけで、外界文化的に切り離されたボイ渓谷Vall de Boiの一連の教会は、12世紀に入ってもロマネスクのスタイルで建てられていた。それらは会堂の洗練されたスタイルと、地方的な、地方的な洗練された解釈、その上自然への従順ささえ踏まえ、比類のない逸品を生み出している。何といっても「全能の神キリスト」(バントクラトールPantcrator)を描いたフレスコ画であまりにも有名な教会である。このアプスに描かれた壁画は1923年にバルセロナのカタロニア美術館Museu d’Art Catalunyaに展示されるため、はぎ取られ、移された。(近年元に戻そうという運動があるが)。中央にイエスが描かれ、左下に聖母マリア、さらにその両側に5使徒が描かれていたことがそのコピーからわかる。右端は残っていない。アブストラクトなまでに様式化されたこの壁画は、ヴォールトの頂点に当たるところに描かれた「神の手」にも見られる。この村にあるもうひとつのロマネスクのサンタ・マリアの教会Santa Mariaも見逃したくない。

TOTO出版”我が街バルセローナ”より
P30

追記
最初にこのボイ渓谷へ行ったのは1973年で、バルセロナから2日かかりました。たかだか260Kmばかりの距離ですが、ヒッチハイクでしたから中々ここまで行く人がなかったので何度も車を乗り換えて、結局途中で一泊しました。途中タクシーが止まりました。お金がないからタクシーには乗らないと言ったら、今日は休みの日だから金は取らない乗れということでした。嬉しくなりましたね。
プーチ・イ・カダファルクらが壁画を剥がすために1900年の初め頃ここも行っているわけですが、その頃はロバで行ったようです。
その後スキー場が出来、これにデベロッパーがどんどんアパートを建て、現在ではユネスコ世界遺産に登録されるようになって、何だか悲しいですね。


かなりの改装があり、このプランではポーティコが正面に描かれている。現在は全てを壊さず、右手にこれを部分的に残している。

Puig i Cadafalch, Josep; Antoni de Falguera, Josep Goday i Casals. Ed. Institut d'estudis catalans. L'arquitectura romànica a Catalunya, 1911年より


現在の姿は言ってみればローマン主義時代の修復の考え方に似ていて、オリジナルな姿に戻そうということだろう。正面入ってすぐにはこのような合唱隊席が、木組みで作られていた。これを取るかどうかというのは難しい話ではある。
Fernando Chueca "Historia de arquitectura Española"より