プンティの町工場

こうしてほぼ2年間にわたる街灯計画の時期にガウディはもうひとつのラッキーな出会いが待っていた。それは街灯の原寸模型とその鋳型を作らせた町工場プンティTalleres Puntí(大工だったEduardo Puntí , ?〜1899年が経営)で得る友人たちのことである。その友人とは、後に生涯をサグラダ・ファミリア教会に捧げ、また最良の友人のひとりとなる鋳物職人リョレンツ・マタマラ・ピニョールLlorenç Matamala Pinyol(1852〜1927年)、手袋商コメージャComellaの主人などである。マタマラは当時プンティの従業員として働いていた鋳型職人で、後にガウディの影の協力者となり、ラ・ペドレラの模型師、サグラダ・ファミリア教会の彫刻、模型師となるのであった。一方コメージャスのオーナーというのはプンティの得意先で、町工場でたまたま出会ったこの熱心な若い建築家をすっかり気に入ってしまい、そして丁度同年パリで開催される万国博覧会へ出品を計画していた彼は、この若い建築家に展示用のショーケースのデザインを依頼するのであった。


プンティの町工場があった通りの現在の様子 現在では町工場らしきものもなく、住宅街になっている

プンティの町工場


手にしているのはレイアル広場の街灯のピース
写真はマタマラによって大切に保管されていた