3/2 カプリチョ邸

コミージャスの第一侯爵アントニオ・ロぺス・デル・ビエラゴ・イ・ロぺス・デ・ラマドリード,Antonio López del Piélago y López de Lamadrid (1817 〜1883年)はカタルーニャの建築家,アーティストの擁護者で、コミージャス(サンタンデール県)にはたくさんのカタルーニア人の作品が残っている。というのも侯爵は多くの会社設立者でもあり,そのうち海運業とタバコ会社などをバルセナに持っていたため,事業上カタルーニャとの関係が深く,そのうえ娘のひとりはバルセロナのグエイへ嫁いでいるのである。
エル・カプリチョ邸は侯爵の親族にあたるディアス・デ・キハーノ Díaz de Quijanoの夏の別荘でコミージャス宮の敷地内に建てられることになった。エル・カプリチョは官の門を入り,ゆるやかなスロープを登った緑に埋まった,丁度マルトレイ設計のチャペルわきにつくられたが,この計画は施主の顔も.現場も直接見ていないという意味ではガウディの作品中むしろ例外的なものである。後に詳しくみていくように,彼はむしろ現場の進行と自己の経験の蓄積から刻々と設計変更をしていく方法をとるからである。しかし反面,ガウディが図面という二次元的な媒体にだけ頼って,建設に踏み切れたのは、自らの建築家としての技量にかなりの自信ができていたからに外ならないとも言える。それに監理者も建築家カスカンテCristóbal Cascante i Colom(1851〜1889年)という、学生時代ビイジャールの事務所で同僚であり,友人でもあり、マルトレイを手伝ってコミージャス宮、チャペルの現場監理をしたとい人物を得られたからであろう。
ガウディはこのためにかなりの量の図面と精巧な模型をコミ—ジャスに送ったものと考えられるが,現在までそれは発見されていない。