ガウディの謎 Part 2

1 発端
バルセロナに関するノート⑥ガウディその周辺をレポ一トするために(A+U 1974年5月号掲載)ガウディの弟子と呼ばれている人びとの伝記を掻き集めたのであるが,そのとき浮び上ったのが,ベレンゲ一ル,ジュジョール,ルビオ・イ・ベズベルらであった。特にベレンゲールは中でも第一人者と目される建築家であり,ガウディより若くまた先に世を去った高弟として,その死をガウディ自身「片腕をなくしてしまった」と嘆いている。そのべレンゲールの処女作といわれているのがこのガラーフのボデーガである。しかしボデーガの現代性は,コルビュジェが見た時より45年も後の今日でも,つまり建設時よりすでに90年近くになろうとしているのに,失われていない。だがベレンゲールのボデ一ガ以降の代表作というのがないのである。これは少々不自然ではないだろうか。彼のその他の作品にはモダンというよりむしろ時代を感じさせるものがほとんどなのである、ここに当然ひとつの疑問が湧いてくる。ボデ一ガはこれまでいわれてきているように,ベレンゲ一ルの作なのだろうと・・・・。

2 ボテーガ・デ・ガラーフ

このボデ一ガは二つの部分から,つまり倉庫と管理人小屋とによって構成され,両者は腰壁で結ばれている。管理人小屋と門は煉瓦と石の組積造で,門には鉄の門扉がついている。門に取り付けられた垂直材から直角に,つまり水平にキヤンティレヴァーのように伸びた梁に45度に細いワイヤーによって2垂直軸上部から支え,逆に垂直軸の最下部からは網状に張られ矩形の部分を対角線で切るように材が伸び,それでつくられた3角形の下部は門を開閉するたびにゆらぐようになっている。水平材には忍び返しが細工され,それがガウディのベジスグアルド邸の門扉を連想させる。門のアーチはガウディ得意のパラボラ・アーチである。門をくぐると今は休暇用の賃貸アパートになっている主屋がある。こちらのほうは石造で,まず四つのパラボラ・アーチが目に入る。左手が母屋で,右は今ではチャンピニオン栽培場となっていて、中央にあるのは煉瓦造の建物と主屋とを結ぶ渡り廊下である。この渡り廊下の右には煙突,左には鋸梁がついている。主屋の下部には大きなアーチが口を開け,今でこそ車がそこを埋めているが,馬小屋となっていたところで、アーチの右側には乗馬の時便利なように壇が付けられ,手綱を繋ぐリングが壁に打ち込まれている。主屋は3層になっていて,まず主階は三つの部分に分かれ,馬小屋、大部屋、そして小玄関付きの5部屋ある住居部,階段は二個所にあり,
上部は二分され,一方は5部屋ある居住部そして他半分は大部屋になっている(ただし現在は問仕切され賃貸しされている)。そして両部分を結ぶ通路がブランからはみ出してつくられ,外部からはそれがアクセントとなっている。住居部端にはパラボラ・アーチが壁に大きく開けられて,バルコニーとなっていて,夏期の居問となるように計画されているが,また見事に外部空間と内部空問とを結んでいる。そのアブローチのおもしろい階段を登ると最終階に出る。10本の柱によって屋根を支えた小さなギヤラリ一のようなものがあり,それがこの建物を一層軽快なものにしている。石造というよりは木造あるいは軽量鉄骨構造のような軽々とした屋根の支え方は明らかに作者の非凡な才能を示している。ギャラリーの奧,そこは礼拝堂となっていて,長方形の平面を二分するように中央には祭壇がある。2階と同様ここも平面を破り左方に通路が出,それが祭壇で二分された部分を結んでいる。ところがこの祭壇裏にある木製のアコ一ディオン・カーテンを開けると、2部屋は一体となるのである。というのも,祭壇自体が透かし造りになっていてアコーディオン・カーテンの開閉によって両方からミサに参加できるつまり、キャパシティーを調整できるという多用性を持ち,建築史的には,周歩廊と祭壇の融合というカタロニァ・ゴシックの流れを受け継いでいるといえるかもしれない。祭壇の透かし造りを実現させたのは鉄細工のすだれであり,入口門のそれと同系統である。
またこの建物のおもしろさはその三角形という恐らく比類のない断面にある。屋根がそのまま壁となって地面にまで達しているのだが、さらに一方の端では柔らかい外側へのそりがついて外形のユニークさと同時に内壁の上昇からくる閉鎖感をうまく解消している。そして三角形を跨ぐように煙突と礼拝堂の小さな鐘塔が単調なファサードに節を与えている。