ガウディの謎 Part 4

5  探索
こういった疑問も文書なり図面なりが残っていれば一度に解决するわけであり,まず所有者を探すことにした。これは別名ボデ一ガ・デ・グエルとも言われるようにグエイ家のものであることはすぐにわかり,現所有者がガウディのパトロンであったグエル伯の曾孫にあたる方であると知った。
残念ながらグエイ氏を尋ねたものの,文書類の保管はないということだった。これでほぼ記録類からの確証はつかめないことになった。その後,念のためガラーフの管轄の役場であるシッチェスの建築課を訪ねてみたが,スペイン戦争以前の図面,文書は何ら保存されていないということだった。それにガラーフという辺地では申請をしたとはやはり考えられない。
ところがグエイ氏との話でボデーガに生まれ育ち,今もその管理をしている人がいることが分かった。
数日後,グエイ氏とガラーフで落ち合い管理人ホアキン氏から話を聞くことになった。ホアキン氏は50代の半ばで,直接にはボデーガの建設の経緯を知らないが,初代のボデーガの管理人は彼の父親であり,幼い頃から聞かされた話があり,それは「ベレンゲールという若い建築家がこのボデーガを設計した。その基礎工事のある日,ガウディと連れだってやってきたべレンゲールは図面と工事の進行を説明した。ところがガウディはその設計が気に入らず,その場でベレンゲールの描いた図面を破り捨ててしまった。その後ガウディは幾度かガラーフを訪れた」というものである。
もっとも当時の記録写真も文書も彼は保管してはいなかったが,話としては興味あるものである。
結局はボデ一ガ・デ・ガラーフがガウディの手になるものであるといういかなる物的証拠も見出せなかったわけであるが,ベレンゲールのものであるという確証も同様ないのである。


チャペル内部

チャペルの祭壇

ボデーガのチャペル前のテラスのグエイの曾孫とホアキン
1974年10月撮影


2011年9月24日撮影