トラスアトランティカ社のパビリオン II

これらのことを総合して推理するとすれば、ガウディはカディスの海運博のパビリオンをパルセ口ナ万国博覧会にも転用できるように考え、カディスのガルシア・力ベーサスに実施投計と現場轚理を委ねる。その視察とタンジール布教館の計画の下見を口実として、かねがねの願望であるアンダルシア地方や北モロッコの建築を見て歩くため侯爵の供をする。翌年バルセロナへパビリオンが運ばれた時は、今度は直接監理をする。そこをバセゴダが目撃するということになるのではないか。しかしいずれにしろこれらは仮説であり、ガウディのサインの入った図面もなければ、文書も見つかっていない。
さてそのパビリオン自体であるが、バルセロナ万博のそれが、不完全な版面からではあるがいくつか見いだせる。これによればアルハンブラ宮のライオンのパティオに似たエントランス、そして四本のイスラム風の塔が後方に立ち、中央には低目の丸屋根があり、それ全体を何本もの旗柱がとり囲んでいるというものである。ガウディの作品とすれば、作品系譜上からグエル別邸の後にくる、イスラム様式傾倒の最後の作ということになるが、真偽のほどは明らかではない。
いずれにしろ1888年ごろのガウディはグエイ館、アストルガの司教館、そしてサグラダ・ファミリア教会地下聖堂の建設に携わっていた時であり、系譜上からはイスラム様式を拭い、転換期にあるわけで、両パピリオンの占める位置はわずかといつてよい。
さてこの章の本題であるグエル別邸についてみることにしよう。これがグエルからの最初の実現された仕事に当たるが、グエイとガウディとの関係は次章に譲り、グエイ別邸をみてみよう。

サグラダ・ファミリアに今も残るトラスアトランティカ社のパビリオンのための石膏型

1888年万博全景

188年万博のガウディの展示社用入場パス