サグラダ・ファミリア教会着工

こうして神意は1881年の12月31日に建設用地をバルセロナの郊外に与えたのであった。敷地は現在ではバルセロナのエイシャンプレEixampleと呼ばれる地区の中に位置するが、当時は隣接の町にあった。このエイシャンプレは400x400のグリッドを一辺ごと3つのブロックで細分しているので1ブロックは133.33x133.33ということになる。都市計画家セルダの考案したグリッド1つをいっぱい使ってこの教会建設にしようというわけである。
ボカベージャの教会構想はロレートのパシリカのコピーであったが、計画を当初ボランティアでその設計を引き受けた教区建築家のビイジャールは、時代的なスタイルであるネオ・ゴシックでそれをデザインしている。ラテン十宇、中央身廊の幅広くせい高の三身廊形式,中央祭壇は列柱で区切り、その背後は周歩廊が半円を描き、それをふたつの大きな礼拝堂,七つの小さな礼拝堂がアブスを閉じるというもので、平面は97.8メートルX44メートル、正面入口上部には鐘塔が載せられている。ビジャールはふたつのブロジェタトを描き上げたことが分かっているが,共に時代様式以外のものではなかった。ビジャールの計画による聖家族教会の建設はこのプランに従い1882年3月19日に地下聖堂から始まったが、それから一年半後にビジャールとボカべージャの折合いが悪くなっていった。既に建設は進み、地下聖堂の柱、半ばまでが完成していたのであるが、ビジャールは建設を途中に放り出してしまうのであった。

サグラダ・ファミリア教会最初期の写真
Bassegoda著Gran Gaudí, 213ページより

ビジャールのサグラダ・ファミリア教会原案


ファサードスケッチ

ビジャールのプラン


アプス部分エレベーション