御受難のファサード Part 2

ガウディの弟子たちが後年描いたサグラダ・ファミリアのプラン

形態的には宗教的象徽と典礼の合理性を求め,たとえぱスペインの教会堂の常である僧席を主正面と主礼拝堂間に置くことを止めている。ことや.主礼拝堂の裏側の巡回廊を閉鎖せず,柱で囲むことによって巡回廊とその周りの礼拝堂に連続性も持たせている。また、キリスト教の最大行事である聖週間の祭りにも教会内外、特に陣外にいる教徒陣内の聖歌隊とを結びつけるために,聖歌隊席をファサードの内面に傾けるなどということをしている。
構造,あるいは建設上の諸問題にも同じょうな合理性を求めている。たとえば丈高な身廊の横圧力に対する力学的解决を巨大なバットレスに求めず,垂直力との合力方向に柱を傾けることによって基礎へと受け継がせて"。身廊円柱を見上げると,ちょうど樹のようで,雪をいっぱい被った木が,その枝の細さにもかかわらず支えているようなものである。また巨大な構造物を長期にわたって
建設しなければならない必要性から,それぞれの構成を構造ユニットとして考え,どの部分から建設がはじまっても,それぞれが独立した構造物として成立するように考えられている。
彼の膨大な計画は採光,照明,音響および楽器,彫塑,装飾,建築様式におよび,合理性に富んでいたという。ところが今や,明確にそれらを知ることはできない。というのもガウディ自身の手になる図面,模型が何ら現存していないからである。1930年代に入ってガウディの偉大さを認識した人びとが,その研究と栄誉のためにガウディ記念館をサグラダ・ファミリア教会内につくろうとした。資金も集められ,開館間際に教会側との折合がつかず、そのままスペイン戦争(1934〜1939年)に入つた。教会はアナーキストの焼き討ちにあい,すベての遺品ははなくなってしまった。
そこで一つの大きな問題が起こる。サグラダ・ファミリアの現在建設中の部分は誰のものかということである。ガウディの残した図面も模型もすでに現存していないのである。ガウディの遺産は,スペイン戦,以前に出版された研究書に含まれた図面であり,さらに弟子たちに口述された彼の論理である。(それらをたよりに計画を進めているという意味ではサグラダ・ファミリア教会は考古学的建築といってよいだろう)。むろん,出版物の図面には限りがあり,口述の論理にも種々な解釈があるわけである。この問題の建設中の部分というのが御受難のファサードである。