3/6 一枚の図面


ガウディも参加したカテドラル正面ファサードのコンペ案

ここに一枚の図面がある。ガウディのプロジェクトではない。しかしながらこの図面の重要さは力タロニアの19世紀後半の建築的状況を余すところなく語るところにあり、その歴史的価値は多大である。その一枚の図面というのは、1882年に行われたバルセロナのカテドラルの正面ファサードを決めるためのコンペ参加用の図面である。

このカテドラルは1259年ゴシック様式に建設が始まり、15世紀におおむね完成し、20世紀になって完成したというものであり,現在我々が目にするファサードはメストレスJosep Oriol Mestres i Esplugas (1846〜1924年)とフォントAugust Font I Carreras(1846〜1924年)によって計画されたものだが、この一枚の図面とは実施案のそれではなく落選案の方である。しかしそのブロジェタト自体に歴史的価値があるというわけではなく、その図面製作に参加した人物によって歴史的価値があるのだ。つまりその参加者とは、計画者ジョアン・マルトレイ、題字ドメネク・イ・モンタネル、ドラフト、アントニ・ガウディなのである。
マルトレイは、ロージェントに系統を同じくする中世回帰主義者であり、また同時にモデルニスモの先駆者と考えられる人物である。その代表作ラス・サレーセス教会Les Saleses(1882 〜1885年)ゴシックのコンボジションとオーナメントを用いながらも、壁にはれんがとセラミックを使うという手法で、マルトレルの建築的特色と,当時の時代感覚を明示している。
一方、ドメネク・イ・モンタネルは既に当時5年後辈のガウディを引き離して、若手進歩派建築家の中心的位置を建築学校を通じて確実なものとしていたであった。作品にしろ、この時期に既にモンタネル・イ・シモン出版社を完成させているが、ガウディはまだこれといったものを実現させていない。その後にしろ1888年の万博ではガウディはほとんど姿も現さないにもかかわらず、ドメネク・イ・モンタネルは三つの重要な、しかも先駆的な仕事を残しているのである。ひとつは市役所の内装の模様替え、これはともかく、ベルラーヘのアムステルダム商券取引所に15年先立つ、フラットな面構成を成功させている"カフェ・レストランテ"、また160メートルの長さ、5層という博覧会用のホテルHotel Internacional をわずか63日で完成させたのである。ある意味ではカタロニア近代建築はロージェント、マルトレイ、ドメネク・イ・モンタネル、そしてブーチ・イ・カダファルクJosep Puig i Cadafalch(1869〜1956年)へと引き継がれていくのだが、この図面あたりのところではガウディはドメネク・イ・モンタネルと肩を並べて一枚の図面を共同で仕上げているのである。しかもガウディはマルトレイに私淑し、自ら師と仰いでいたのであった。そこでマルトレルのラス・サレーセスにガウディが関係していたのではないかと考えられているのである。いずれにしろこの図面ができ上がつた直後である1883年11月3日、ドメネク・イ・モンタネルをさしおいて、マルトレルはガウディを聖家族教会建築家として建設委員会に推薦するのである。
そして歷史とは皮肉なものである。少なくともこの一枚の図面が描かれているころまではロージェント、マルトレイ、ガウディ+ドメネク・イ・モンタネルという流れがあつたのであるが、結果的に見るならば、マルトレイの指名した聖家族教会建築家という職務によって、ガウディはこの流れからはみ出し、孤立し、ほとんど近年に至るまで抹殺され続けてしまうのである。


Wikipediaより

コンペ当時のカテドラル

現在見られるカテドラル