巨石時代のメノルカ Part 1


巨石民族
巨石文化の世界同時性が一方で説かれている。それによれはば,ストーン・ヘンジ、マヤのビラミッドブ、カルナックの石列群,インド・デカン高原の巨石、マルタ島ムガール神殿,アイヌが残したというメンヒール,あるいは大和の古墳をも含めてひとつの相関性を見い出し得、一元説つまり巨石民族の存在すら考えることができる。
もとはといえば「粗石建造物」という1912年、T・エリック・ビートによつて書かれた一冊の本にこの説は端を発している。つまり.彼は巨石文化を単一民族の地球レヴェルでの大移動がもたらした同一建築運動であるという見方をしているわけだ。
この説は議論の余地が多々あるとしても、これを否定するほどの決定的なこの現象に対する説明もなしえないわけであるから、SF愛好者、UFO研究者、ダウザーなどからの支持者が出たりして,この大量の民族大移動によってもたらされた巨石遺構の構築説は充分な魅力をふくらませている。何はともあれこのテーマ自体が膨大遠々なるロマンを秘めているのだ。

巨石の機能
今日では,巨石通構が単なる宗教心理的な機能や埋葬装置だけではなく、新石器時代の農耕生活の開始から必然的に要求さわた太陽や月の運行むをつかむ天体観測の予測,あるいは水脈の標識であったというような科学的研究の実証の場であったということが明らかにされている。しかも、アレクサンダー・トムの言うように,この測定の綿密さや精度はヨーロッパ中世の天文学や測量学の比ではない。同教授の「巨石造月観測所」によれば,1000分の1程度という精度で、その位置が測定されていたというからまつたく驚くべきことである。つまり、かなり高度な建設技術をも彼ら巨石民族はマスターしていたということになるわけだ。

巨石の運搬
それでは巨石の運搬をどのように巨石民族は処理していたのだろうかという問題がある。機械力がなく、数トンの、あるいは時には数十トンの巨石を動かすにはかなりの技術力が確かに存在していなければならない。
よく知られているストーンへンジのブルーストーンなどは直線距離で210キロ、もちろん山や河があるわけだから直線的に運ぶことはできない。この地形的な条件を考え合わせて切り出し地点から現在の設置位置までの実質的距離を算定するとゆうに320キロを越える距離を運ばれたことがわかっている。
これは適材が近くになかったのだという説、つまり何らかの宗教的、あるいは科学的な理由である特定な石を使つて構築されなければならなかったのだとする説がもっとも説得力を持っているのだが、最近の研究によれば、これを裏付けるかのようにブルーストーンは,現在の位置つまりストーンへンジへ運ばれる以前に同棣な施没として使われていたことがわかっている。ストーンヘンジは施設としてすでに現地点以前にどこか別のところに、何らか別な理由で設定されていたのだ。
こうなってくると数トンもある巨石を動かすという技術がすでに巨石時代に必要不可欠な作業であったことがわかってくる。にもかかわらず、近世ヨーロッパではすでにこのノウハウは忘れられてしまっていたのだ。

サン・ピエト口のオベリスク
たとえば有名な口―マのサン・ビエト口寺院のオべリスク設置の話が残っている。サン・ピエトロ寺院の広場中央にあるオベリスクを現在の位置に置いたのはシクスト5世の御用建築家フォンターナであるが、この312トンの巨石を運搬し、更にこれを直立させるのは並々ならぬ難工事であった。
かのミケランジェオでさえ、「あんなものは建ち上げられるものではない。」といって懸命していたという。つまり、すでにこの時代に巨石を動かす技術は忘れ去られていたことになる。
この難工事はまったくの人海戦術で進められた。つまり,907人の労働者と75頭の馬がトランペットと鐘を合図にして、一挙一動このオベリスクの建方に従事した,何しろ312トンもある。しかもやたらと長い材であるので更にやっかいだった。作業中に口を開けた者は死刑に処されることになっていた。トランペットや鐘の音を労働者が聞きもらすことを避けるためであった。作業は予想どおり難航をきわめた。特に建方では建ち上げされずに、まさに人馬とも息が切れてまさに危うくオベリスクは転倒するかにみえた。そこでひとりの人夫が大声を上げた。彼は死を承知で「ロープに水を」という。引っぱり上げていたロープに「水をかけろ」と叫んだのだ。
中世ではこのロープに水という方法がよく使われていた。例えば、あの重い鐘を鐘塔まで持ち上げるノウハウがすでに確立していたのだ。サン・ビエト口寺院のオべリスク建方では建築家たちは忘れ去ってしまっていたのだが,ひとりの人夫がこれを記憶の底にとどめていた。ロープと水というのは、科学という言葉が生まれる前から,日常的な経験あるいは必要から生まれた知識としてすでに確立していたのだ。つまり、水にぬれたよじれのかかったロープが乾くとともに縮むという単純な原理で,これを使えば人海作戦なくとも、ロープを替えていくだけで、吊り下げられたものは簡単に上がっていく。
こうした日常的な観測から知識に加えられたさまざまなノウハウを巨石民族は蓄積していて、あの巨石群を悠々何百キロも動かしていたのだろう。

続く

中部建築ジャーナル
1985年7月号より