カサ・デ・ロス・ボティーネスが崩れる


カサ・デ・ロス・ボティーネス
2009年5月30日撮影

アストルガ司教館のエントランス・アーチ構築に二度までに失敗したガウディは,ここでもその名を知られていた。そのせいもあってカサ・デ.・ロス・ボチィーネス建設中に子供たちが,こう囃したてるのでのであった。「カサ・デ・ ロス・ボティーネスは崩れる!カサ・デ.・ロス・ボティーネスは崩れる!」と,それは四隅にあるファサードの水平線を打ち破るように伸びた塔の建設の時であった。2階スラブ部分から張り出している出窓型の基部を十分固定するだめに,幾重にもサボー卜が用意され、足場の丸太がそれに絡んだ。これを見た町の人々はアストルガでの噂とを含み合わせ,ひとつの解答を得た。それをレオンの技術者が懸念をそそるように、彼のかってみたことのない溝法をその彼の見識で理解し、レオンの人々に忠言したから「カサ・デ・ロス・ボティーネスは崩れる」ということになったのである。
出窓のデザインはこの地方に多く見られる民家のエレメントから取ったもので、同様に屋根裏階の窓を覆う小屋根のスレートの置き方も、この地方でよく見かけるものである。このようにディテールからも外観の景観上の調和を考え合わせているが,取引の主商品であるコーデュロイもカタロニアで生産されたものであることから、多くのものがカタロニアで作られてレオンへ送られた。例えばドライエリアをガードする鉄細工、主正面入口の門扉,その上の彫像などであるが,これらはカタロニアの経済の影響力を説明すると同時にガウディのオリジナリティを明確に表現する小道具であったのである。これらの鉄細工などは学生時代から出入りしたバルセロナにあるプンティの町工場でガウディの直接の指示のもと製作されたのだった。
彫像はドラゴンを退治するカタロニアの聖人サン・ジョルディで、ガウディが好んだモチーフのひとつであるが,1950年、この建物の所有者が替わったとき一時この竜と像は外され、代わって聖母像が載せられたが、その基部から、数々の図面と建物に関する記録文書が発見され、現在最も充全な形で図面が残っている作品といわれている。

カサ・デ・ロス・ボティーネスが崩れるのではないかという原因を作ったコーナー部の張り出し