3/11 タンジール布教館

年代的には、サンタ・テレサ学院の次にタンジール・カトリック布教館計画(1892〜93年)が来るわけであるが、このプロジェクトには謎めいたことろが数多くある。計画の依頼者はコミージャス候(Claudio López Bru, 1853〜1925年)であり、その北アフリカとの交易に際しての文化施設的役割を果たすべくタンジールにフランシスコ派の布教館設立を思い立ち、ガウディもその敷地を1891年の夏か秋に見ている。タンジールはジブラルタル海峡をはさんだモロッコの町で、ポルトガル、フランス、イギリスの植民地化された経験のある町である。旅行嫌いのガウディが遥かジブラルタルを渡ってまで敷地を見学し、実際に旅行の経費としてマラガで200ペセタ、タンジールで1280ペセタ受け取っていて、しかも設計料として1万ペセタ受け取っている。ところが計画は何らかの理由で実現に至らなかった。このプロジェクトの持つ意味は、作品の系譜上重要な位置を占めているといえるだろうか。ガウディもこの計画が気に入っていたらしく、計画が不発に終わった後も事務所に堂々と額装して飾られていたという。