タンジールの計画

タンジール布教館は矩形平面を持ち、中央に礼拝堂が据えられ、それを囲んでパティオがあり、更にパティオを囲んで教育施設などが配された建物によって閉じられているが、これがわずかながら内側へ傾斜している。この傾斜が、プロフィールをパラボラで描いている塔と同様な手法と考えるならば、建物全体がパラボラ・アーチの連続として計画されていたとも考えられるが、現存の写真からの判読はかなり困難であろう。いずれにしろ塔自体はゆるやかパラボラを描いていることは確かで、これからちょうど同時期に建設を始めているサグラダ・ファミリア教会御誕生のファサード塔との関係が指摘されるのである。そのうち特に礼拝堂両脇のふたつの塔は螺旋が明確に表出し、サグラダ・ファミリア教会のそれとの類似性を示している。また1891年に建設を始め、布教館の設計以降にサグラダ・ファミリアの鐘塔のデザインを変更したとも考えられるのである。というのも塔の基部はその平面が四角であり、塔自体の平面の形と合致しないからである。しかしこれにはガウディがひとつの言葉を残している。
それは実際にはグエイ館の中央サロンを引き合いに出しているのだが、『もうおわかりでしょう。私たちは変更したのではないのです。建築のこういう新しい形態は、時がたち考察が加えられるほど、それらの形態の起用の必要性がより確かなものとなるのです。』この弟子たちが書き取った言葉は単なる弁解ともとれるが、彼の経験主義、実証的設計論の一端を物語るものであろうか、あるいは何と後年の機能主義者たちのヴィジョンと似ていることだろうか。
ガウディはパラボラ・アーチにしろ、小規模で控え目なものからより大胆に、またより確かなものへと発展させている。それはこの言葉以上にサグラダ・ファミリア教会の御誕生のファサードを下から上へと見れば歴然するのだが・・・・・。
ガウディの塔への執着はシンボリズムと結びついて、晩年まで受け継がれていくが、それは丁度ゴシックへの接近の時期と関係している。丁度タンジールの布教館計画の時期、つまり礼拝堂頂部を巨大な一群の塔で終わらせているところにそれが明らかである。

このエレヴェーションはガウディがレオンのクライアントMariano Andresに写真を撮りサイン入りで送ったもの