サグラダ・ファミリア略史2

1939年1月26日 ナショナリスト軍がバルセロナに侵入
1936年に壊された学校の再建
地下聖堂の修復開始
1936年に暴かれたガウディの墓の遺体の検身
サグラダ・ファミリアの現状を報告するパンフレット《Hoja Informativa de los destrosos de la Sagrada Familia》制作。第1号は1939年3月1日刊行。修復工事着工
1940年 サグラダ・ファミリアの壊された状況を説明するため、歴史を説明する展覧会が企画されるがオープンせず。カタログの印刷までできていた。
1943年 El Propagador de la Devocion de San Jose再刊行
工事責任者はFrancisco de P. Quintanaとなる
1948年 El Propagadorは改名しTemploとなる
1949年 1936年に準備されていた交差廊南面の大窓着工
1951年 壊された模型の修復開始
1953年 第35回国際聖体秘跡学会に合わせ御誕生の門ファサードの階段完成、照明が付けられる
大工組合がロザリオの門を修復
1954年 御受難の門の基礎工事着工

1972年4月10日基礎がまだ確認できる

1973年3月18日撮影

1958年 地下聖堂の洗礼盤の完成
1959年 御誕生の門中央入口上にJaime Busquetsによるキリスト降誕の彫刻群が設置される
1962年 御受難の門の地下にガウディ・ミュージアム建設される
1963年 マドリッドでガウディ展
御誕生の門建設続行
1964年 御受難の門の外ポーティコの基礎着工
1965年 Jose F. Rafols(1889〜1965年)没
1966年 御受難の門の第2層のスラブが完成
1966年6月28日 Francisco de P. Quintana(1892〜1966年)没
Jaime Busquetsの受胎告知の彫刻群完成
御受難の門28メートルに達する
1967年 御受難の門の鐘塔30メートルに達する
Isidro Puig Boada, Luis Bonet Gali工事責任者となる
1968年 御受難の門の鐘塔36メートルに達する
1970年 御受難の門の鐘塔46メートルに達する
1971年 鐘塔50メートルに達する
パリでガウディ展
1973年 鐘塔70メートルに達する
San Jaime el menor, San Felipeの鐘塔先端にモザイクが張り付く
Cesar martinell(1888〜1973年)没
1974年 Juan Bergos Masso(1894〜1974年)没
1975年 大統領Arias Navarroサグラダ・ファミリア訪。25百万寄付
1976年 鐘塔の末端Hosanna第4番目完成
ガウディ没50周年記念でBraunscheweig, ミュンヘンでガウディの展覧会
御受難の門の鐘塔先端部完成
1978年 御受難の門とアプスがつながる
1979年 御誕生の門のクラック補修
1980年 モスクワ、パリでガウディ展
1981年 Montevideoでガウディ展
1982年3月19日 教会建設百周年記念でバルセロナ枢機卿Narciso Jubany Arnauによるミサ他様々な行事が行われる。
1982年11月7日 Juan pablo II世教会訪問。普遍的家族へ教会を捧げる
1984年 ガウディの一大展覧会がCatedra Gaudiにより開かれる
1985年 ガウディ展はマドリッドの現代美術館、ブリュッセルのEuropaliaニームの美術館、ミュンヘンのVilla Stuck, ブエノス・アイレスで開催
1986年 Jose Maria Subirachsに御受難の門の装飾を依頼
工事は快調に進行
1987年 ニューヨークでガウディ展
Isidro Puig Boada(1981〜1987年)没

御受難の門のJ. M. Subirachsによるキリストの鞭打ちが設置される
ウィーンでガウディ展
1988年 Montevideo, サンパウロリオ・デ・ジャネイロでガウディ展開催

Joan Bassegoda著 El Gran Gaudi, 1989年バルセロナ、224〜227ページ より