6. セルダの後継者

セルダ案の後継者としてもっともすぐれた人物はペドロ・ガルシア・ファリア(Pedro garcia Faria, 1858〜1927年)である。彼はエンジニア兼建築家で,若い頃から衛生問題に興味を持ち,政治問題から都市改造のボス的立場にまで立った人物である。
24才でバルセロナ学芸協会の科学,自然部会の部長となりそこで講演をした。その講演は後に『1884年バルセロナの衛生問題の記録』として出版されたが,それ自身セルダの統計をもとに研究されたテーマであった。この最初の仕事から後の絶頂期の仕事,つまり1893年出版の『バルセロナの地下衛生のプロジュクト』まで合わせて12の出版物をその10年間に出している。
この最後のプロジェクトこそセルダの果たしえなかったものであり,かつ必要なものであった。彼はバルセロナの地質に精通しており,この下水処理を作ったのである。それには自動処理のシステムが開発されて,バルセロナの全ての下水槽に充分なだけの人鼋の水の流通に支えられたもので,そのうえゴミ処理の方法の計画案も出した。それは各々の家の人口脇に設備された垂直ゴミ投棄筒であるが,地下ではワゴンによって収容されるようになっている。
また他にもバルセロナ近接の湿地帯(5000へクタールに及ぶ)の広大な畑の研究もし,バルセロナ巿の拡張に更に10キロメートルの可能性を与えた。私(筆者)の現在住んでいるところもその延長上にあり,彼の基礎的な研究あればこそである。また,その後,1930年代にはGATCPACのグループによって,この一帯を大々的なバルセロナのリゾート地帯にしょうという計画がある。それはコルビユジェとGATCPACによって計画された「マシア計画(Pal Macià)」 である。これはセルダ案の均一性を尊重し,グラン・ビア通りに活力を加えて,カステルデフェルス市(バルセロナから約20キロ)へとまで連結させようというものである。
セルダのブロックを9倍,つまり3ブロックX3ブロック集めたモデュールで,自動車によって変えられた都巿スケールに対処しょうとしたもので,この3 X 3ブロック単位の道路は両側を歩道,そして中央が2重の車道になっている。この大ブロックには対角線にブロック内の歩道が引かれ,マッシヴな20階建の集合住宅が計画されている。この集合住宅はピロティを持ち,ほとんどコルビユジェの現代建築の五大原則を具現化しているようなもので,サン・アンドレゥに一部実現された(曰本建築学会編『近代建築史図集』,新訂版,64頁写真2参照)がスペイン戦争の敗北に継続できずに終わり,現在増築が加えられ,意図しょうとした空問構成を損ってしまった。また近年ではコデルクがその集合住宅コチェ一ラス(本誌I976年2月号「特集 J.A.コデルクの作品16題」110頁参照)で小規模ながら新しいモデュールのスーパーブロックの提案をバルセロナへ提示している。

ル・コルビュジェ+GATCPACのスーパーブロック計画

サンアンドレウのカサ・ブロック

A+U 1976年11月より

続く