ガウディの略年譜 Breve Cronología de Gaudí

1852年 6月25日スペインのカタルーニャに生まれる。生家にはレウス説、リウドムス説がある。
1863年 レウスのエピスコラピオの中学校へ入学。
1867年 手書きの学校誌エル・アレルキン誌のイラストを描く。
1869年 レウスからバルセローナへ移住。建築学校入学のためバルセローナ大学の予備講座へ入学。
1873年 新設されて間もないバルセローナ県立建築学校へ入学。校長はエリアス・ロージェント。リュイス・ドメネク・イ・モンタネールはこの年に建築家のタイトルを取っている。
在学中に師のビジャールの事務所でドラフトマンとして働く。その他フォンセレ、マルトレルの事務所でも貧しい家計を助けるために働く。
1878年 エンリック・ジロッシのためのラス・ランブラスのキオスク計画。(実現しない)
サン・ジェルバシの劇場のための鉄細工計画。(実現しない)
建築学校卒業、建築家のタイトルを得る。(3月15日)
パリ万博用に手袋商コメージャスのショーケースをデザインする。このショーケースを見たグエルは義父がコミージャスで建設していた礼拝堂の家具のデザインを依頼。
レイアル広場の街灯のデザインを市役所から依頼される。
近郊の産業都市マタロの企業共同組合計画。(83年まで。一部実現)
1879年 薬局ジベルトの設計。(現存しない)
科学遊覧カタルーニャ協会に加盟。以降この会のメンバーとともに各地を訪問。
サン・アンドレスのヘスス・マリア教会、祭室計画。(床のモザイクのみ実現、81年)
1880年 バルセローナ港街灯計画(エンジニアのジョセップ・セラマレラと共同。実現しない)
タラゴナのヘスス・マリア教会の祭室。(82年まで)
ベジョック侯とともに労働省主催の産業美術博覧会を企画。
1881年 サン・セバスティアンのカジノのコンペに参加、落選。
アルフォンソXII世コミージャス訪問の記念パビリオン。
1882年 グエルの依頼によるガラーフの狩猟小屋計画。(実現しない)
バルセローナ・カテドラル、ファサード・コンペにドラフトマンとして参加。
1883年 アレージャのサン・フェリス教会設計。(実現しない)
ビセンス邸。(88年まで)
ビジャールの後を継ぎサグラダ・ファミリア教会の建築家となる。(11月3日)
コミージャスにエル・カプリチョ邸。(85年まで)
1884年 フィンカ・グエルのパビリオンの門扉及び馬小屋。
ボカベジャ家のための祭壇。
1886年 グエル館。(90年まで)
国王アルフォンソXII世の訪問のための市庁舎の一部改装案。(実現したのはドメネク・イ・モンタネールの案)
1887年 アストルガの司教館。(93年まで)
カディス海運博のトランスアトランティカ社のパビリオン。
1888年 バルセローナ万博のためのパビリオン。
サンタ・テレサ学校。(90年まで)
1891年 コミージャス侯とアンダルーシアへ旅をする。
サグラダ・ファミリア教会のアプス部周壁。(93年まで)
同御誕生のファサード。(92年まで)
レオンのカサ・デ・ロス・ボティーネス。(92年まで)
1892年 モロッコ・タンジールのカトリック布教館計画。(93年まで。実現しない)
1893年 友人グラウ司教没。葬式には棺台を設計。
1895年 ガラーフにグエルのための小建築を設計(ボデーガ・デ・ガラーフ、1901年まで)
1898年 カサ・カルベ。(1904年まで)
コロニア・グエルに教会を設計(1914年まで。地下聖堂がほぼ完成)
1900年 ベジェスグアルド邸。(1902年)
理想都市計画グエル公園の建設。(1914年まで)
カサ・カルベに市の建築年度賞が与えられる。
1901年 ミラージェス邸門、塀。(1902年まで)
1902年 バー・トリーノ内装に参加。
モンセラの第一秘跡のモニュメント。
1904年 カサ・バトリョの改装。(1906年まで)
劇場サラ・メルセの内装。
マジョルカのカテドラル修復。(14年まで)
画家であり友人のグラネー邸。(実現しない)
1906年 ラ・ペドレラの建設。(1910年まで)
ガウディの父亡くなる。(10月29日)
1908年 アメリカに高層ホテル計画。(11年まで。実現しない。)
1909年 サグラダ・ファミリア教会付属学校。
1910年 パリで生前では唯一のガウディ展が開かれる。
ガウディのパトロン、グエルに伯爵の爵位が与えられる。紋章をデザイン。1914年 助手として1877年から働いていたベレンゲール没。(2月4日)
第一次世界大戦勃発。経済恐慌に仕事を無くし、サグラダ・ファミリア教会の仕事に専念する。
1918年 グエル伯没。(7月8日)
1926年 市電に跳ねられて死亡。(6月7日)

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1994年8月号
”ガウディを蘇生する”より