インタビュー10 Entrevista a Bohigas

★オリオール・ボイーガス
ガウディには興味が無くなってしまった

−今日は日本の建築雑誌atの取材でまいりました。
 ガウディがバルセローナでも異常に注目されてきたのでしょうか、このところガウディ の建物が異常なほど修復されています。そこでat誌の厚意で特集号が組まれることに なりました。現在、ボイーガス氏はバルセローナ市の文化局長として活躍されているわけですが、(*1)今回は一建築家、しかもガウディの研究者でもあられる一個人としての御意見をお伺いいたしたいと思います。
−私はガウディには興味が無くなってしまった。というよりはガウディに関係している人 々に興味を無くしたと言った方がいいかもしれません。なぜ、ドメネク・イ・モンタネ ールに興味を示さないのでしょうか。ガウディの天才性が無くなってしまったという意 味ではありません。この大きな原因を作ったのはサグラダ・ファミリア教会の建設続行 (*2)、バセゴダ教授、そして日本人も大いにこれを助けたと思います(*3)。
−具体的にはこれまで修復を担当した建築家、その監理者にインタビューしてきましたから、ボイ−ガスさんには最近に手が加えられたガウディの建物の個々について御意見を お伺いしたいと思います。まず、ラ・ペドレラについてはいかがお考えでしょうか。
−ラ・ペドレラの最初の修復工事は悪くないと思いました。具体的にはファサードの洗浄 を中心とする修復・補修工事ですが、これは模範的ともいえるプロセスで行われています。第二期工事は主階の、現在文化センターとなっているところですが、これには「手法」という点で私とはいくぶん意見が食い違うところがあり、結果的によいものができていないので模範的なプロジェクトだったとは言えないと思います。現在行われている地下の旧馬小屋をオーディトリアムにするという第三期工事は、だれがやっているのか知りませんがもっとも酷くて、具体的には現場を見ていないし、プロジェクトの内容も良く知らないのですがどうも芳しくないようです。レンガの柱を鉄骨の柱に置き換えるとかこれは問題です。
グエル公園に対する御意見は。
−実際に見学していないのですが、担当者は才能のある建築家たちだし、修復の意図はよ いはずです。ベンチのセラミックも専門家が同じものを焼かせて取り替えているから、かなり正確な方法でオリジナルな状況に忠実に新しい材料で置き替えられていると思います。
−セラミックは耐久性の問題から今回はそれより焼成温度の高いグレスに置き換えられて います。また、傷みの程度も選択されず、画一的に新しいものに置き換えられています。 長い眼でみたらこれは土に帰るというセラミックと違って、グレスでは何時までたって も新しすぎで馴染まないものだとは思いませんか。
−確かにそうだがそれが修復一般での一番難しいところではないだろうか。
−それに問題はベンチはセラミックで作られた壁画という芸術作品ですから、折角優秀な 陶芸家が作ったものを芸術的なセンスに欠ける左官が並べるというのは門題ではないで しょうか。
−確かにアーティストの参画が必要とされたのかも知れません。いずれにしろこれは難し いことです。
−それでは、屋上の煙突が現代作家の手によるセラミックのトレンカディスで覆われたグ エル館でのアントニオ・ゴンサーレスのとった修復の方法論、つまり全く新たな作品に仕上げる方法というのはいかがでしょうか。
サグラダ・ファミリア教会がここ20世紀来の最悪の作品だといつも発言するのは、そのひとつの理由にエセ・ガウディをつくろうとしているからです。この点、ゴンサーレ スの取った、ガウディの創造性というスピリッツを受け継いで修復にも新風を吹き込む ために現代作家にクリエートさせる姿勢というのは正しいことだと思います。
サグラダ・ファミリア教会と同じ様なことがカサ・バトリョでも起こりました。修復を 担当した建築家ボテイはクライアント側の勝手な設計変更についに現場監理からおりて しまいました。その最大の理由はクライアント側が修復部分をよりガウディ風にしよう としてガウディらしいエレメントを付け足したからと聞いています。
−やたらとガウディが売り物になり、商売につながってきたからでしょうか。
−もうひとつの問題はコミージャスのエル・カプリチョが別荘からレストラン(*4)に転用されたり、グエル伯の狩猟小屋だあったボデーガ・デ・ガラーフも最近レストランになったり、ガウディの建築の使われ方が設計当初とは違った用途に転用されてきています。建築は時代の要求に生きながらえなければならないのでしょうがこれは果して良いことなのでしょうか。
−ラ・ペドレラの地下もそのうちで、困ったことに馬屋からオーディトリアムへの転用で、
 視線の問題からレンガの円柱を取り除き、断面の小さな鉄骨のパイプに置き換えられ、床レベルも掘り下げられ天井高を取るということになってしまうというわけです。これ は問題ですね。空室がたくさんあるのになぜわざわざここに据えたかわかりませんね。
−お忙しいところありがとうございました。

注1 このインタビューの翌週に市との政治的折り合いがとれず辞任している。
注2 サグラダ・ファミリア教会の建設続行反対運動は何度も繰り広げられているが最大なのは65年に行われたもので、ボイーガスらが動き、これには海外のセルト、ペヴスナー、グレゴッティ、スウーニー等がサインしている。
注3 日本でのガウディ・ブームをさすが、特にロマンとすり替えられて、ガウディの創造性に反するスピリットの象徴である、日本人のサグラダ・ファミリア教会の建設続行賛同への批判でもある。
注4 エル・カプリチョはある日本企業の持ち物となり(91年1月)、カサ・カルベは最近(今年の5月から)レストランとして再出発している。

*Oriol Bohigas
 1925年にバルセローナで生まれる。同地の建築学校で学ぶ。ポレミックな活動、歴史研究、デザイン論理に早くから関わり、設計、評論でも活躍。1953年には同世代の建築家たちと《グルーポ R》を設立し、《ガウディ友の会》、1977年〜80年は建築学校校長を務める。1980年にはバルセローナ市の都市計画部長となり、バルセローナ・オリンピック期には市長直属のコンサルタントを務め、実作品を残したほか、オリンピック期に行われた大々的な都市大改造計画の構想立案に参画している。また、1992年春より同市の文化局長を務めている。主な著作には『モデルニスモの建築』1968年がある。

at
1994年8月号
”ガウディを蘇生する”より
続く