ワールド・アーキ・ドキュメント Spain Barcelona

あれ以来
92年はスペインにとって大変な年だった。南のアンダルーシア・セビーリャでは万博、北のカタルーニャ・バルセローナでは第25回夏季オリンピックという国家事業的なイベントを同時に開催したからだ。一部の反対運動もあったが、両都市とも沸きに沸いて国民の支持も得られ、成功裡のうちに92年の夏を越した。
しかし、この後がいけなかった。オリンピックの閉会とともに既に他の国々では始まっていた不況の波がこの国にも押し寄せ、それに財界の歪み、政治汚職事件などが相次いで起こり、果ては4期続いた社会党政権も昨年第1党を右翼に譲ってしまった。
もっともスペインではこういう経験を1929年にも持っていて、バルセローナとセビージャの2都市で万博を開催するという無謀な事をし、この負債は50年代までも払い続けたといわれている。29年と92年という数字は偶然としても面白い。
バルセローナの街はオリンピックを契機に大型都市改造をして、実際10年前の街の姿とは全く比べられないようになった。市内交通網は充実され、工業地帯となっていた海岸の地区は移転、オリンピック村ということで住宅地に作り替えられた。不足がちだったメガロポリスとしてのエキープメントも充実され、有名、無名建築のファサードは補修され、洗いだされ、ガウディの時代であるモデルニスモの建物は街の財産として新たに見直された。一般市民たちのデザインに関する興味、特に建築に対する興味が格段と高まったのもこの時期の掛け替えのない大きな収穫のひとつだった。
しかし、この有頂天の真っ只中に不況が襲ってきたのだった。オリンピックに間に合わなくても直接影響のなかった文化施設や民間投資を期待しての建設(ガエ・アウレンティのカタルーニャ美術館改装、マイヤーの現代美術館、ペイの国際コンベンション・センター、ラファエル・モネオのオーディトリアム、ボフィールのカタルーニャ国立劇場、旧港全域の開発など)はこれで大幅に竣功を遅らせることになってしまった。
現在、市は何等かの理由で完成できなかったこれらの施設の完成を急いでいるとともに、第2次都市改造として更に新たな地区の再開発を目指した大型企画を打ち出している。具体的にはオリンピック村の更に外郭にあたる工業地帯を市街区として組み入れるために住宅を建設(ティアゴナル・デ・マル)、ベソス地区沖の人工島、港湾整備などといったものだ。
公共投資の大幅縮減を政策に掲げて当選した、現在の与党の右翼連合は第一党を保持し続けているバルセローナ市議会の社会党政権に対して、必ずしも温かい目を向けてはいない。民間投資に期待して始められたこの事業は果たして、第2次黄金時代を達成する事ができるだろうか。
また、バルセローナが面白くなってきた。


たんげとしあき−スペイン磯崎新アトリエ/1948年生まれ。1972年名城大学卒業後スペインに渡る。1985年以降スペイン磯崎アトリエ勤務。著書に『ガウデイの生涯』(彰国社)、『スペイン建築史』(相模書房)、『建築家人名事典』(三交社)など。