カサ・バトリョのファサード

隣接のカサ・アマトリェール

バルコニーに設置によって逃げている

2004年10月10日撮影

コーニスの高さは上に増築することによって隣接のカサ・アマトリェールのそれより一層分ほど高くなつた。しかしこれをガウディは嫌ったという。なぜならカサ・アマトリェールはプーチは卒業した時もらった奨学金でドイツを遊学するのであるが、そこで目にした階段状に終わっているファサードをデザインしていたのだが、もしそこに隣接してそそり立つようなファサードを置いたらその美しさが台無しになってしまうからである。これをガウディは嫌ったのである。そこでガウディは隣接する部分をセット・バックさせ、小さなテラスとすることによって、ファサード同士が喧嘩しないように譲りを設けた。これが役所への図面には中央にあった塔が左よりに実現された理由である。その塔はサグラダ・ファミリアと十字に捧げられ、いかにも当然かのように項部にはダブル十字が付けられている。
ファサードのシンメトリーはこういう理由でガウディによって壊されている。これに従い一階のファサード部分もシンメトリーが崩されている。全体では5間に分割され、その左端が住居へのアクセス。ファサードの残りの部分は店舗用であり、左端が店舗用のアクセス、間の3間がショールームという設定である。また、地階はこの店舗用にプランされている。この4間のうち2間の下部に半円の開口があり、これが地階の採光、換気に充てられている。
現在ではこの崩されたシンメトリーが更に崩され、両端の開口に同じドアが付いてしまった。左側が見学の入口、右側がイベント・ホールへの入口として使われているので、こうなってしまったのだろうか。古い写真を見ると右には木が貼り付けられていて、現在のような鉄細工に金箔張り仕上げというのはなかった。性格をきっちりと変えていた。

建設中のカサ・バトリョ

改装されシンメトリーになったファサードの下部 右側の入り口はこの時に作られた 

2001年9月2日撮影

80年代の修復まではバルコニーは黒かった