サンタス・クレウスの修道院Monasterio de Santes Creus2012.01.05

週末にシトー派の修道院に行ってみた。バルセロナからは100kmほどのこころに3箇所のシトー派の修道院が集中している。 距離からいくと一番近いのがサンタス・クレウスの修道院で、高速に乗って1時間もかからない。修道院もさることながら、この近郊での名物のカルソッツにはちょっと早いので食べられるか分からないが、若干期待して出かけた。

昼前に着いてしまったので、今から行けば修道院は閉まっているだろうからまずは昼ごはんを食べてからということにした。高速を出て、Vallsへ入る手前の街道沿いに車が結構止まっているレストランが目に入ったのでこれにしようということで中に入る。風がひどくて雲が切れてなかなか面白い景色が見える。やはり、シーズン・オフでしかも今日は金曜日なので中には人はまばらだけど、地元の人らしいグループがいたりしてこれは当たりだと思った。定食は11.5ユーロ。安い。キノコのホット・サラダ、羊のオーブン焼きを注文、すぐにポロンに入った赤ワインが出てきた。これで呑むと服は汚すし、少量でなぜか酔ってしまうのでコップに移して飲む。ワインは地元の協同組合か何かの量り売りのものだろうけれども飲める。これはこれで悪くない。料理も値段の割にはおいしくて、量もそれほど多くなくて、満足して、修道院に向かう。
観光ルートが最近できているらしく、3つの周辺の修道院をセットで見せようということらしい。修道院の周りは門前町まがいの街道に沿った家が立ち並び、ほとんどはこのカルソッツを売り物にしているレストランばかりだ。Cal Massoというのがその中でも有名でシーズン中は予約も取れない。昔ここで食べたことがあるけれども、今日は閉まっていた。
修道院の3箇所を回るという共通チケットを買う。修道院は現在では修道院としての機能はない。創立は1150年だが、別の場所にあったのを1174年現在の場所に移し修道院工事が始まった。最初は教会堂、参事会室、また現在には残っていないロマネスク時代の回廊が完成した。その後僧室など居住部分が建設され1225年にほぼ完成を見る。
13世紀中頃にはアラゴン王国の庇護の下にさらに勢力をつけていく。ハイメ2世(1291〜1337年)の時代には王宮としての改装が行われ、王家の墓も作られた。この時ロマネスクの回廊が壊され、ゴシックスタイルで建て替えられた。この作家はイギリスの石工長Reinard Fonoll(1362年没)らで、彼自身は回廊の東側を完成させたと考えられているが、ポブレットの修道院にも参画したらしいのだが記録は残っていない。王がペドロ4世(1336〜1387年)に変わるとポブレット修道院が擁護され、宮殿部分、パンテオンがサンタス・クレウスからポブレットに移動させられ、前の修道院に戻っているが、修道院としては発展を続け、17,18世紀にはさらに今の門前町の景観を見せる敷地の外にも増築、拡張が続いている。1835年のメンディサバルの教会の土地を没収し競売にかけるという永代所有財産解放令の発令にシトー派の僧侶たちは修道院を逃げ出してしまった。
1921年国の文化財として指定されるまでは廃墟化していた。


柱頭飾りにレイナルドと思われるサインが・・・・彫りこんである