図版19 Casa Batlló

アントニ・ガウディ作、1904〜06年
繊維業を営むバトリョ氏( Josep Batlló i casanovas)は当時メイン・ストリートとして発展しつつあったグラシア通りに持っていた家屋が、しすぼらしくなってしまったので、市役所に解体工事願いを出した。1901年のことである。前年には隣に当時流行の新進作家プーチ・イ・カダファルク(Josep Puig i cadafalch, 1889〜1956年)のカサ・アマトリェールが華やかに竣工しているから、バトリョ氏も肩身が狭かっただろう。また、同じブロックのコーナー部には当時の代表的な建築家リュイス・ドメネクイ・モンタネール(Luís Domènech i Montaner, 1850〜1923年)のカサ・リェオ・モレーラの建設も始まっていたから、なおのことだった。1903年4月6日付けの図面が市役所に現存しているが、そこにはガウディのサインが入っている。
ファサード裏側もタイルがモザイク風に飾り付けられ煙突や換気塔もモザイクがはられている。プーチのカサ・アマトリェールの正面ファサードの派手さは、実は裏側から見ると看板建築でしかないのがわかるが、カサ・バトリョは誰にも見えないところまでもデザインがされ、しかも、よりユニークなのが誰にも見えないところなのだ。》
図版20- Casa Batlló
カサ・バトリョ、正面ファサード上端部分。
ガウディがサインした1903年4月6 日付の図面は、既存の建物を解体して新築するのではな、地階と最上部に一層を付け足し、ファサードを新装するという改装計画であった。結果的には5層の、何の変哲もない 、時代遅れの建物に、きらびやかな当世風な箱を被せたような形になった。また、建設工事中にガウディの常である“デザインの成熟”があり、申請用に出された図面とはずい分違うものとなっていった。
《龍の背の鳞はグラデュエーション(ぼかし)のあるメタリック・トーンの瓦で覆われている、この內側には貯水タンクが収まっている。また左側の小さな塔は、教会でもないこの建物にイエス、マリア、ヨゼフのイニシャルが付けられ、その先端には十字架までが付いている。》

名古屋デザイン博

「ガウディの城」展カタログ

写真解説より

1989年刊行

後記

市役所に提出の申請用図面