図版100・104  Palau de la Música Catalana

図版100・101  Palau de la Música Catalana
カタルーニャ音楽堂
ドメネク・イ・モンタネール作、1905〜08年。
ドメネク・イ・モンタネール(図版19解説参照)ほど世紀末建築の流れを正確に掌握し、しかも、指導的な立場にあって、それを実現していった建築家は他にいなかった。ガウディがオリジナルすぎるほどの個性に埋没していったのに対して、歴史主義から脱離し、新たなオーダーを築き出したのがドメネクであった。
《このドメネクの晩年の代表作が音楽堂である。中央の明り採りにはステンド・グラスがはめられ、周辺のカーテンウォール状のステンドや、モザイク風にはられたセラミックやガラス製の手すり子の,やかさは、モデルニスモ建築の終末を告げるにふさわい建物であった。》


図版102・104  Palau de la Música Catalana
カタルーニア楽堂、舞台内壁部分とコンサート.ホール内客席部天井。
ガウディが教壇.にも立たず、評論にも登場せず、ひたすら職人的な方法で建築をデザインしていたのに対して、ドメネクはバルセロ ナに新設されたばかりのエリアス・ロージェント主謀の建築学校の初代教授の一員加わっていたばかりか、経済的な繁栄やカタル ―ニア独立の気運にわいていた、当時のカタルーニアを代表する建築家であった。ガウディより年齢はわずか2歳年上のドメネクは、1888年のバルセロ ナ万博ですでに数々の施設を設計依頼されているが、ガウディはオフィシャルナ1つのパビリオンも設計していない。市の建築年度賞を、ガウディはカサ・カルベという、どちらかといえばマイナーな彼の代表作でない作品で1度受賞しているだけなのだが、ドメネクは5度も受賞している。
《O.ボイ一ガスは「ドメネクの作品中、あらゆる意味でも最も驚くべきものがカタル ―ニャ音楽堂だろう」「そのフローラルな装飾にしろ、その色の多彩さにしろ、その感動の連続にもかかわらず、同時に空間のまとまりがあるのに驚かされる」「しかし、その構成的な考え方に何よりも驚かされる」といっている。グエイ公園が屑タイルをはり付けて、トレカデイスとしているのに、ここでは役物
のセラミックがふんだんに使われている。》

「ガウディの城」展カタログ

写真解説より

1989年刊行

後記