図版121〜124 Casa Amatller

図版121 Casa Amatller
カサ・アマトリェ、大階段。
1891年に建築家のタイトルを得たプーチは、ドメネクよ18年、ガウディより13年遅れたバルセローナ建築ラッシュ華やかな時期に、しかも彼らより幅広い知識を身に付けてスタートすることができた。まず、プーチは生地マタロ (バルセロナから30Kmにある工業都市)へ帰り、巿の建築監理官となって、いくつかの作品を残している。
《左手の扉から内へ人ると、まず大きな玄間ホールへ出る。その突き当たりが当初は馬屋、写真の大階段は右手にある。階段室は3 , 5X4 , 5 の大型ステンド・グラスで覆われ、ファサードの多彩色はインテリアへも広がっている。》

図版122〜124 Casa Amatller
カサ・アマトリエ、小サロンとサロン、そのステンド・グラス部分。
マタロでのプーチの作品は、プラサ・マョールの市営マーケット(1892年)、現存しない店舗ラ・コンフィアンサ(La Confianza,1896年〉、カサ・バイス(Casa Valls, 1892年)、カサ・パレーラ(Casa Parera,1894年)等があるが、そのうちカサ・パレーラは彫刻家エウセビ・アルナウ・イ・マスコート(Eusebi Arunau I Mascort, 1863〜1933年〉との長い協働制作のきっかけをつくった作品となった。
《アマトリェ家の未亡入が他界してから、主階(2階部分でアマトリェ家が住居として使っていた部分)が彼らのコレクションの展示と、スペイン美術の研究財団の本拠として使われるようになった。ステンド・グラスに3面を囲まれた小サロンは財団の読書室に当てられ、ダイ二ング・ルームは一般用の読書室として、オリジナル家具もそのままに活がされ使われている。》

「ガウディの城」展カタログ

写真解説より

1989年刊行

後記