図版140・141  Can Negre

ネグレ邸。
ジュセップ・マリア・ジュジョール作、1914〜30年。
ある意味ではガウディ以上にガウディだったのがジュジョールなのだが、彼が生れた時代というのが、すでに遅すぎたのかもしれない。彼はガウディが死んだ後の30年代、すでにドールス(Eugeni d’Ors、1882〜1954年)が。“ノーセンティスモ”(1900年代主義)と銘打ってモデルニスモに反旗を翻したときも、ガウディの絵画彫刻的な、いってみれば一番モデルニスモ的な部分を全面に打ち出してデザインを続けていった。
《ネグレ邸のあるバルセロナ近郊、サン・ジョアン・デスピで市の建築監理宫を務めていたジュジョールは、ボファルイ邸と同じような長い時間をかけて改装工事をしている。カタルー二アの伝統的な民家マシアも、ジュジョールの手になると一変して、楽しい遊びの世界に造り変えられてしまう。またこの町にはジュジョールのもうひとつの代表作トーレ・デ・ラ・クレウ(Torre de la Creu、1913〜16年)が残されている。》


図版142〜144 Iglesia de Vistabella
ビスタベージャの教会。
ジョセップ・マリア・ジュジョール作、1918〜23年。
ジュジョールはかなり多作な建築家であった。といってもガウディにはグエイというパトロンがいたが、ジュジョールにはそれに匹敵するよき理解者もいなかったし、ドメネクやプーチがその政治力で時代の代表的記念碑建築をデザインしていたのとも違っていた。ジュジョールの残した作品の大半は改装だったり、極端に小規模だったり、そのほとんどが地方の町村にあったりするのだが、そのいずれもがキラリと輝く何気ないオリジナリティーを秘めている。
バルセロナの隣接県タラゴナの小さな村ビスタべージャにあるこの小さな教区教会は、我々が見慣れてきた視覚的な安定性というものを、根底から崩す不思議な形をしている。
空間を手玉に取って操る、空問の魔術帥ジュジョールらしい作品である。また内部は彼自身の手で、壁までもびっしりと模様が描かれ、ひとつ問違えればキッチュぎりぎりの綱渡りをしながら、驚異的なオリジナリティーを見せている。》

後記

カン・ネグレ

「ガウディの城」展カタログ

写真解説より

1989年刊行