バルセロナの92年 Vol.2

―つまり、あなたはそれぞれの設計者に対して、デザインの質を要求しただけではなく、都市との関連づけをも要求したわけですね。
その通りです。オリンピック・リングの場合は、ちょっと例外ですが、パージェ・デ・エブロンの場合を例にとって話すと、現在までこの地区は土地投機の対象から外され、野つ原のように街の中に残されてきたところです。しかもバラックが、これを取り囲むようにして建てられています。このため、まったくインフラは無計画に作られて、バルセロ ナのスブロール現象の代表的な例といえます。それを救えるのが45haという、バルセロナ市内の緑地としても大型のうちに入るバージェ・デ・エブロンなのです。しかも、この地区にはロビーラのトンネルや、第1と第2環状道路が連結されるという郊外と市内、そして公共建築と民間建築の接点という都市計画的にもおもしろいところにあります。
この中心にあるのが、すでに我々の手によって建てられた自転車競技場です。これをもとに周辺一帯の開発を進めているのですが、幸いにもこの自転車競技場自体、質の高い施設だと誇りきっています。世界中で自転車競技場を見学しましたが、見るに堪えないものばかりです。しかし、これは機能的にも、また審美的にも仲々のものだと思っています。そこでこの一帯に、バルセロナの若手の建築家たちを集めてデザィンをさせました。
アーチュリーの競技場(ミラージェスの設計)、小さな室内体育館(ガルセス+ソリアの設計)、テニス・コート(ス二エの設計)、この他公園そしてまだ決まっていないのですが、民間投資を待っての住宅の建築です。若手の建築家といっても、あまり若い連中ではなく、まず、これから伸びてゆくだろうという建築家たちを、若い世代として選んでみました。現在まだ全貌が見えるほど計画自体が完成されていませんが、これから92年までにはこれがまとまって、都市の中に組み込まれていくことを信じています。
モンジユイック丘のオリンピック・リングは状況が少々違いますが、基本的には29年のフォレスティェーの計画に従い、小さな道や何本かの輪を中心に、いくつかのモニュメンタルな施設が建っていくというものです。
―オリンビック村はどうなるのでしようか。
まだ何ともいえません。ベルリンのIBAの失敗を繰り返すという危惧がまだ残っているからです。現在の状況ではね。
―それではボイーガスの計画が全部完成しないということですか。
すでに全部は実現しないと判断しています。

AT 1990.02より

後記
取材中のミラージェスとアーチュリー場