ピナクル

最初のビナクルは1926年の初めに終了しているが、既に74歳を迎えているガウディは一度も鐘塔には登っていない。この代行者は一番弟子のスグラーニェスである。そのビナクルには十四面体が中途にあり、組み込まれた照明具は前方と大屋根を浮かび上がらせ、夜問の都市シンボルの役目も考えられている。幾何学図形が支配するこのビナクルはやはり着色されているが、それらはガラスびんのかけら、石炭、セラミツクなどが使われ、シンボルとしての有効性を筯すために、最上部には金箔が使われた。金箔はブドウ酒などを入れるごく普通のガラスびんを加熱し、まだ熱いうちにそれを張り付けるという方法で作られた。ガウディはここにHOSANNA EXCELSISの文字を刻んだのであるが、それを500メートル半径の地点から判別することができ、もし光輝のある材を使えば1000メートル半径の地点から読み取れると計算している。また最上部の十字は2000メートルの地点から見える。
しかし彼がこうしてサグラダ・ファミリア教会にとじこもっている間にも、現代建築の動向は明らかにガウディとは違った方向に進展していた。1925年から26年にかけて、ル・コルビュジェは万国装飾芸術博の会場で“エスブリ・ヌーヴォー館"を建て、"ユルバニスム"を刊行し、グロビウスは"バウハウス校舎"を、ミースは"力―ル・リーブクネヒトとローザ・ルクセンブルグの記念碑"を建てていた。


現在ピナクルは落下物があるらしく、ネットで保護されていますが

2012年4月15日撮影