「気まぐれ邸」の気まぐれ

エウセビオ・グエルの義兄弟にあたるコミージャスの第二侯爵の娘婿であるディアス・デ・キハ一ノは,コミージャス(サンタンデール県)に,侯爵およびグエル伯を通じてガウディにヴィラの設計を依頼した。このヴィラは1883年〜85年に建設された。これが「気まぐれ邸(El Capricho)」である。
この地にガウディは1878年,師マルトレイのコミージャス宮祈禱所設計に協力し,二,三の家具をデザインしているが,気まぐれ邸はグエル氏を通じてのガウディへの依頼で,ちょうど1878年,パリ万博でのグエルとガウディのショーケースという出会い以降,ほとんど最初のグエルを通じての仕事でもある。
気まぐれ邸はコミージャスの外周の丘の上,コミージャス宮内にある。門を入ってゆるやかな坂道を登り,右に折れると緑に埋まるようにベージュのヴィラがきらびやかに建っている。敷地も気まぐれである。宮へ入る二つめの門前わき、まるでおもちゃのように建てられている。
建設から90年以上経た今日,コミージャスは新興ブルジョァの避署地となり,巨大な宮は神学校となり,気まぐれ邸は飽きられた子供のおもちやのように捨てられた。21枚の窓ガラスが別れ,ガウディのオリジナル・デザインのセラミック137枚が失くなり,煙突に付けられたセラミックで飾られた冠も二つまでが落ちて,出窓の内側には蔦が生えている。無神経な配線がむき出しで,屋根のスレートに破れ穴があいている。それでも数年前までは夏の間貸し別荘になっていた。
気まぐれ邸をはじめ,ガウディの主要作品は,教育'科学省指定のナショナル・モニュメントとして同省の保護下に置かれているのだが,同時に私有物である気まぐれ邸などは,問題が^雑になつてくる。
もっともガウディの他の建物の保存がよいというわけでもない。一番問題にされるのがサグラダ・フアミリア教会建設続行であるが,これはガウディのオリジナルである「御誕生」のファサードの景観が,建設中の「御受難」のファサードによって損なわれるという点,また政府の補助金が「御誕生」のファサードの修理に使われず,それが廃虚化してきていることである。グエル公園は一昨年あたりから,正面入口とベンチのセラミックの剝離を補修し,ほぼ完了したが,まるで病院の便所のようになってしまった。
というのも基調色であつたごく淡いピンク,緑といったセラミックに替わり,まったくの白が使われたこと,またそれがひどく均等に割られ,同一の型を使って張られたことで病院の便所になってしまった。これではミロも失神するだろう。そのうえちょうど二つの門番小屋の真前に紫色に塗られた学校が建ち,ベンチのある広場には真赤な赤土が盛られた。もうひとつの景観的な危機は,フィンカ・グエルの敷地内に木々を倒しての学校建設が始ったことだ。近い将来,例の竜の門の後には四角のコンクリ一トの箱ができることだろう。
もっとも保存のよいところもなくはない。ガウディの作品に対する理解とか営利目的とか動機はさまざまだが,ビセンス邸やベジェスグアルドのようにインテリアに至るまでよく保存されているところもある。銀行の管理下にあるカサ・デ・ロス・ボティーネス,郷土博物館となっているアストルガ司祭館,カサ・ミラカサ・バトリョ,サンタ・テレサ学院,サンタ・コロマ地下聖堂,それにグエル館も今年のガウディの50周忌を記念して補修される。カサ・カルベも玄関ホールなど建設当初の姿をとどめているところもあるが,半年ばかり前から主階と地階の一部が借家になって,借りた繊維問屋がガウディのデザインした建付家具など無視して倉庫として使っているため,いくら堅木とはいえ,近い将来無残な姿となるだろう。陽気まぐれ邸にはパラウ・グエルのような話は残念ながらない。「施主はディアス・デ・キハーノという人でね,私はひとりごとに,キハノ,キハーダ…-キホーテと言ってみた。君は行かないほうがいいよ。話が通じないのがおちだから。」とガウディは弟子のベルゴスに気まぐれ邸の図面を見せながら言ったという。気まぐれ邸は,彼にとっては例外的に現場へ行っていない作品で,施主の顔も知らなかったという。そんなわけで監理は友人の建築家クリストバル・カスカンテが当たった。ビセンス邸を受け継いだ豊かなアラブ風のオーナメント,アール・ヌーヴォーの主要なモチーフであるヒマワリをあしらったレリーフのあるセラミックがファサードに横縞をつけ,全体としてはゴシックのコンボジションが使われている。隅部から飛び出した鉄細工のヴランダのベンチ,玄関の見晴台を支える4本の柱の柱頭には小鳥のモチーフが使われている。そしてしてもっとも重要なことは,この4本の柱に傾斜を与えようというアイディアを持っていたことであり,そうすると,後にサンタ・コロマの地下聖堂やサグラダ・ファミリア教会で使われた傾斜柱の起点はここにあることになる。
「きまぐれ邸」は8千万円で売りに出ているというが,グエルのような理解者もいない。産業育成に手いっぱいのスペイン政府も,若い現所有者も興味がないとすれば,いったいどうなるのだろうか。美しいものがまたひとつ失くなってゆくのか、こんなことを嘆きつつ,友人のスペイン建築家に話したら,「なんだお前の国じゃライ卜の帝国ホテルを壊したじゃないか」と言われてしまった。これには返す言葉もなかった。

A+U 1977年7月号より