IV ④ ジャウマ・バック Jaume Bach

1943年生まれ。73年頃から現在の共同者ガブリエル・モーラと事務所を設立する。中堅建築家のうちでも比較的派手な作風。バルセロナ・オリンピックの仕事も多く抱える忙しい売れっ子のひとり。
―73年の頃というと、ちょうどラファエル・モネオがバルセロナヘ乗り込んで来た時ですね。この頃からモーラと一緒に仕事をするようになりました。最初の仕事というのは、ピレネー山脈中のアバートのコンぺでした。

―モネオの助手をされていたということですが、それがお2人の共同体制を作るきっかけとなったんですか。

プロ生活に入つて再び学校と接触するろ、教えるための勉強というのが必要で、これが直接のの原因かも知れません。

―それでは、モネオはあなた方のマエストロではなかつたのですね。

バルセロナには長い建築の伝統というのがあって、例えば秘密組織でカタルーニャ文化会議というのがかっての独裁時代にはあつたんだけど、この建築部門に私も首を突っ込んでいました。
この頃に、若きボイーガスなんかとも知り合いになりました。この時は、コレアの仕事に大変與眛を待っていました。学生時代にボイーガスゃコレアと仕事をしました。モーラは、ソストレスやボイーガスと仕事をしました。
これでおわかりのように、先ほどの伝統というのはコデルタから始まって、我々が接触したよような作家たちのことを指します。

―コデルクと仕事はしましたか。

いえ、モーラにとっては教授のひとりだったそうですが。私は69年卒業で、翌年ボイーガスの助手として学校に籍を置きましたが、彼の講座は学闘紛争を引き起こして、フッ飛んでしまいました。
モネオがマドリッドからバルセロナに来たというのは、やはり大変な新風を吹き込んだわけで、とても意義があります。カタルーニャ建築の方向に、幅を与えてくれましたから。

―私がバルセロ —ナに来た頃というのは、フランコが健在で独裁政権が末期をむかえる頃でした。この頃というのは、カタルーニャ語を学ぶこともできず、現在とは大変違う状況だった
のですが、建築の現在というのは、また別の方向に閉鎖的に動いているとはお考えになりませんか。

私はバルセロナ派の建築〃の存在というのを、もともと信じていませんでした。ああいうものはある時期に必要があって、でっち上げられたものですから。
60年代の代表的グループのひとつを指すことはできます。ただ70年代に入って、これは世界的な傾向だと思うのですが、いろいろな派が生まれ、多方向に進展していくようになりました。
我々は70年代の後半に歩み始めたわけで、その頃といえば、建築的な伝統らしきものがなかったマドリッド、一方伝統らしきものがすでに何らかのかたちであったバルセロナ、という状況にありました。しかし、バルセロナに“派”があったのではなく、何人かのマエストロがいて、そのマエストロの手法に、何人かの若い建築家たちが何かを学び、それが知識の伝導とでもいいましようか、我々の世代にも受け継がれたことは確かです。マエストロたちも、我々に学んだはずです。

―それで、現在は…。

まず、世界中の建築界がそうであるゆに、色々な方向がバルセロナでもあると思います。色々な方向がバルセロナでもあると思います。いろいろなもののうちには、ハイテクも含まれています」。まだ、国内の技術レベルが、ハイテックを実現できないでいるのにですよ。

―そういう中で、あなたたちはどういう作品ろうとされているのでしょうか。

たぶん、そんなピカ一の作品ではなく、フォーマリズムに陥らず、それぞれのコンプレックススな与件にリアリティのある解決案を地道に探っていく、というのが我々の仕事の進め方です。近代建築の初期にあった、冒険に満ちた作品を残そうとも考えていません。

―つまり、巨匠の時代は終ってしまったということでしょうか。

ということでしょう。もうグテイエレス・ソタが、マドリッドの半分を設計したというような時代は終わったのです。“ヒーローの時代”は確かに終わっていますから。同時代に、すでにアメリカでは、50人もの設計者団体がひとつの作品を残しています。
我々も部外者でコンサルタント役として、設備や構造を担当してくれている人がいますが、決して我々のパーソナリティーは失っていないと思っています。

―今、事務所の所員は何人ぐらい、ますか。

12人です。

バルセロナ設計事務所としては大きい方ですね。

悪くない数字でしようか。

―スペインには、伝統的にアパレハドールという職業の人がいて、現在もディテールとか工法についての担当をしています。
そのために建築家は、デザイナーとしての役だけを果たしていればいいわけですが、あなたの事務所では、この実務家とアーテイストとでもいう役割りの分担を、どうされているのでしようか。

まったく、うまくいっていませんね。我々は、現場でなんとかそういう問題を解决しょうと努力しています。スペインの現在の仕事量からいって、事務所を組織づけて各部所の専門家をかかえるというのは、経済的にいって不可能なことだからです。
ですから、現場に入ってから、ディテールや材料をよりリアリティーのある方向に持っていゆく、という以外に方法がありません。

AT 1990.02より