サン・ピエトロの建設

ヴァチカン教皇庁サン・ピエトロ寺院の創建は三一九〜三五〇年とされ、現在の寺院はカトリック大本山として相応しい一大聖堂に建替えようと考えたニコラウス五世(在位一四四七〜五十五年)の発案になり、具体的にはユリウス二世(在位一五〇三〜一五一三年)の発議により始まったが、当初コンペでブラマンテ にこの設計は委ねられた。 一五〇六年四月十八日起工式が行われ、ブラマンテはその没年である一五一四年まで働くが、これはギリシャ十字プランで、パンテオンキューポラを頂くというものだが、実際にはこれを支える四本の大柱を完成するにとどまり、完成を見ずこの巨匠は世を去ってしまう。レオン十世はラファエッロ に建築続行を依頼し、彼はブラマンテが考えたギリシャ十字プランを身廊部の長いラテン十字プランに変更するが、ほとんど工事ははかどらないままにラファエッロも没してしまう。その後はエンジニアリングに強いペルッツイ とサンガッロ が受けて、彼らは更に大幅なプランの変更を決行している。ミケランジェロ が工事に入ったのはさらにその後の一五六四年で、没年までを交差部の設計につぎ込むが、キューポラはついに完成できず、その下にあってキューポラを所定の高さまで持ち上げるタンボールという部分の建設にとどまった。ミケランジェロキューポラはジャコモ・デッラ・ポルタ とフォンターナ によって一五八七〜一五八九年になってやっと完成されている。マデルノ は一六〇七年の正面ファサードの指名コンペに勝ち、一六一四年にこれを完成 させている。ベルニーニ がコロネードと広場を一六五六〜六十七年に完成させて、サン・ピエトロは現在我々が見るような形になった。実に一六〇年を超えたばかりか、ローマのルネサンスからバロックという栄光の時代のスーパー・スターがすべて競い合ってデザインした教会堂となった。