中世のカテドラル建設

宗教的な理由もそれぞれあったろうが、まず巨大な空間を構築するという物理的な困難に中世ヨーロッパでは大聖堂の建設には異常に時間をかけたというのはごく当たり前のことであった。たとえばシャルトルのカテドラルは、ゴシック様式のもっともピュアーな教会堂のひとつとされている。これは極めて短い時間に集中して建築がされたため、同一のスタイルで建設されたということであるが、それでも五十六年間(1194-1260年)という時間が費やされてやっと主要な部分が建設された。しかし、このカテドラルは創建から数えると度重なる火災にあっているため現在みられる聖堂は五番目のものである。いずれにしろ、シャルトルのノートル・ダム建設のスピードはほとんど例外中の例外だった。その理由は一一九四年の火災時にクリプトに保管されていた聖物「聖母の衣」と「黒の聖母」が幸いにも難を逃れたためでこの奇跡にあずかりたいと、全国民からの資金支援を得て教会堂の再建に加速がかかったからであった。といっても一二六〇年十月二十四日に一応、献堂式は挙げたものの、一六世紀には北塔に時計塔が付け加えられたりしているのでマイナー・チェンジを加えれば四〇〇年の間手が加えられたことになる。
パリのノートル・ダムはさらに長期にわたって建設が続いた例だ。シャルトルより幾分早い一一六三年に教皇アレクサンデル三世参列のもと定礎式があり、内陣から建設が始まり一二五〇年には北側塔、正面ファサード上部ギャラリーが建設され、ほぼ一応の完成はしているものの、十三、十四世紀に増改築にあい、十七、十八世紀にはさらにかなり大規模な改造があり手を加えられている。ジャン・ド・シェル 、ピエール・ド・シャルル 、ジャン・ラヴィ 、ジャン・ル・ブテリエル など後生に名を残した、石工、建設者、建築家が何代にもわたって建設に参加している。

Jean de Chelles (? - 1270) は西側正面を完成させた。
Pierre de Chellesは南面のファサードを着手。
Ravy (1318‐20,40活動) はPierre de Chellesを引き継ぎ回廊など建設。
Le Bouteillier (14世紀活動) は僧席を完成させた。