ネオ・ゴシックからの出発

さらにこのネオ・ゴシック様というのが御誕生の門の下部で踏襲されている。例えば周辺につく回廊の窓、ロザリオの祭室、中央の大門、両端の門周辺などだ。この辺りは一八九六年の三月に完成されているのがサグラダ・ファミリアに保管されている当時の写真からもわかるが、明らかにゴシックだ。
しかしそのすぐ上の切妻部分というとゴシック特有の尖塔アーチという全体的な形は別として、これがわけのわからない、しかも切妻、破風という建築での伝統的なエレメントを使いながらも細部では溶岩が流れたかのような形になり、この綿々と使われてきた建築言語を崩している。


名古屋で開かれたデザイン博のなかで‘ガウディの城‘と題して天守閣全階を使ってガウディ展をやったとき、日本側のプロデューサーの中心的な役割を果たしたのが石山修武さんで、このことをよく知っていて、サグラダ・ファミリア教会のアイス・キャンデーを作って会場で売ろうというアイディアを出していた。まさに氷が溶けていく時にできそうな形にこの破風の部分はみえるのだ。
十八世紀後半からガウディの時代にはマリア信仰が蔓延していた。一八五四年ヴァチカン公会議はピウス九世とイエズス会の努力によってこれが教理と定められるまでに至った。もっともスペインは伝統的にマリア信仰の根底にある、無罪性、童貞、貞操、母性崇拝が強いが聖母マリアへの敬拝が深く、サンタ・マリア何々教会というものから、ヌエストラ・セニョーラ何々教会(これはフランスならノートル・ダム何々ということになるが…)というのがやたらと多い。このマリア信仰と関係の深いのがグロッタである。言うまでもないがグロッタは子宮、しかも聖なる御母ともなると、これはありがたいことこの上ない。しかもこの切妻の上端にはカタルーニャの聖なるモンセラの山を切り取って移したようなところがある。豊かなイコノグラフィーがここに見える。いずれからの引用にしてもこの辺りはゴシックという伝統的な言語とは切り離れ、自然を引用して独自な表現をしているのは確かなことだ。この部分を建設中にガウディはカサ・カルベを市井建築として完成させていた。ガウディの建築が大きく転換する時期の作品だ。