ピナクル

更に上部のピナクルともなるとこれはもっと自由な発想から出発している。
ガウディは晩年、グエル公園の家を売って教会建設資金を捻出するばかりか、自ら作業場に移り住んでいたが、この時彼が使っていた寝室の様子がわかる写真が残っている。この写真は現在サグラダ・ファミリアの地下にあるミュージアムにも引き伸ばして展示されてあるから、ご覧になった方もあるだろうが、一人ものが工事現場に住んでいるのだから殺風景この上ないが、ベッドのすぐ横には石膏の精緻なピナクルの模型が置かれ、夜となくこれを眺めていたことがわかる。
ガウディより数世代若いやはりカタルーニャ美術評論家のドールスなどはこれを『図面なしで建築をしようという神秘主義者、前夜のヴァージン・メリーのお告げで日々の仕事をこなした』と書いている。 この次世代のオピニオン・リーダーはモデルニスモを酷評し、ラショナリズムの前兆ともいえるノウセンティスモを吹聴するためにこういうアジを飛ばすのだが、実際、寝入る前も、目覚めた時もガウディはこのピナクルを見ながらすごし、まさに生活を共にしていたのだった。
このピナクルは、何かをメタファーさせたデザインで、成熟した時期のガウディの作品であり、カサ・バトリョやラ・ペドレラという作品にオーヴァーラップしている。サグラダ・ファミリア教会はガウディの作品系譜の中ではライフ・ワークとして長々と仕事はしたが決してマスター・ピースとは言えないが、彼のクリエーターとしての成長が手にとってわかるので面白い。


ピナクル先端部はなぜこの形が生まれたのか


Eugenio d´Ors, 『Teoría de los estilos y espejo de la arquitectura』, Madrid, 1944年、P. 311