前工業時代的解決

これはファサードの整備をその平面性を取り戻すことによって解決を求めようという、産業隼命を目前にしての都市での前工業時代的解決といえるものであろう。
バルセロナ市のこの人口急増も十八世紀の末から十九世紀の中頃まで戦争 や疫病 が相次いで、横這いの状態が続いていた。 十三万を数えた一七九八年を数字のうえから超えたのは、一八四七年以降を待たなければならない。 これらのうち、一八三四年の全ヨーロッパを襲ったコレラでは興味ある数字が読み取わる。 つまり、バルセロナでの死者は三五二一人と住民の二.九%に及んだのに対し、パリは二.四%、モスタワは一.五%、リールは一%というようにバルセロナの死亡率が以上に高いことである。リクラ候の街路整備策は市壁内の都市環境改善に、決して充分な功を奏したとはいえない。 決定的な都市域が拡大されなかったからだ。