エンジニア・セルダの発想する都市

中央政府は一八五四年の末、具体的な拡張計画を進めていくにあたって、イルデフォンソ・セルダに市の周辺の地形側量図作成を依頼している。 セルダはその翌年十一月、5千分の一の実測図を完成させているが、これに「統計情報」というものを附加させている。 セルダは科学的な分析をもとにして、工業都市バルセロナにふさわしい近代的な都市計画を生み出したいと考えていたであった。
五千分の一の実側図を完成させたイルデフォンソ・セルダは、技術士会のメンバーであるエンジニアであるのは無論のこと、一八五一年には急進派としてバルセロナ選挙区から国会議員に立候補し、三人の同僚とともに当選して五十四年にはバルセロナの理事に就任していた。 カタルーニャの大地主の息子として生まれたセルダは、この測量図作成にも二十五の測量チームを自費で雇っている。
イルデフォンソ・セルダは一八一五年、バルセロナの地方都市ビック近郊のマス・セルダに生まれている。 三男とあって家督を継ぐ義務もなく、自由主義の家風に育ったセルダは一八三二年バルセロナヘ出て、数学と建築の勉強を始める。 また、その三年後には長らく閉鎖されていた通路、運河、港湾技術士学校の再開を待って、この入学のためにさらにマドリッドへと出ていく。 在学中マドリッドから家族宛に送った手紙のなかには、当時の苦境を語っているものもある。 「同情から使い古しのニ枚のシャツとそれに何枚かの下着をもらった。 それを受け取ることに決めた時、私の欠乏の様子が想像できましょう。」

セルダの生まれた家


1839年2月付け。この時期には病気にも悩まされていた。 Arturo Soria y Puig, 「Cerdà, Una Cronología」, Cuademos de Arquitectura, Barcelona, No. 100, P.10に収録。