市のロビーラ案

市もこれを黙ってはおらず、委員会をマドリッドへ送って抗議を申し込むのだが、すでに決議されているセルダ案を引っ込ませるはずもなく、市のコンペに入選案を計画の参考意見としてセルダ案と比較検討するという回答しか得られなかった。
七月末に締め切られた市のコンペ案は十三、このうち一等に選ばれたのは市の建築監査官アントニオ・ロビーラ・イ・トリァス(一八一六〜八十九年)の案であった。 このロビーラ案と通称されるエイシャンプレ計画は、旧市街を核として山側へ扇状にスプロールする計画案であり、原則的にはバロック都市をその構成にとどめているといえよう。
バルセロナ市と中央政府のこの絡み合いは、政治的な駆け引きのように受け取れるのだが、五十五年セルダは国の依頼で地形測量図を作成した折、五千分の一の図面に添えて統計資料にこれを加え、さらに半透明な紙に書かれた地形図に重ね合わせて検討できうるエイシャンプレ計画のクロッキーを提出していたのだった。
こうして行政史上からはむしろ珍しい前衛的なセルダの計画案が、どちらかといえば現状の妥協から出発しているガリーガ案やロビーラ案を退けて、一八九〇年正式なバルセロナのエイシャンプレ許画として国から認可されたのだった。
バルセロナ市にとって決定的な運命を決めたこれらの図面は現在ゴシック地区の真っ只中にある市の歴史博物館に保存、展示されている。