チュリゲラ

Churriguera一族
活動:17〜18世紀
 スペインの建、装一族。マドリッドサラマンカで活躍する。この一族が生んだスタイルから「チュリゲレスコ」(churrigeresco, チェリゲラ風)という用語が生まれ、これが絶大のスペイン・バロックの絶頂という意味に同義語化し長期にわたって使用されることになり、しかも乱用されるまでに至った。彫刻家ジョセップ・ラテス・イ・ダルマウ(Josep Ratés i Dalmau)はバルセローナ生まれで、マドリッドに1674年以前に居を構え、1684年に没している。その妻テレサ・エリアスは建築家である前夫●ジョセップ・デ・チュリゲラとの間に彫刻家となった一子●ホセ・シモン・デ・チュリゲラ(José Simón de Churriguera, 1682年没)をもうけていた。彼とその義父はマドリッドのモンセラ病院付属教会(Montserrat)のために、サラゴサのピラール大寺院の作者である建築家フランシスコ・エレーラ・エル・モソ*の案に従って、祭壇(1903年崩壊)をつくった。ホセ・シモンが1679年に没すると義父ジョセップ・ラテス(Josep Ratés i Dalmau)はその子供たちホセ=ベニート、マヌエル、ホアキン、アルベルト、ミゲルを育てた。そのうち3人までがチュリゲラの名にふさわしい輝きをみせた。

三交社刊 建築家人名事典より