第五章 ガウディの現在


ガウディの宗教心
晩年のガウディはよく知られているように、サグラダ・ファミリア教会の工事現場に泊まりこんで、まさしく仕事と生活を共にしてこの贖罪の教会建設続行に専念した。これには一般的にはある解釈が付け加えられている。つまり、敬虔なる宗教心の賜物というのがそれだ。とりわけガウディの晩年に弟子となった人たちとその世代の人たちによって語られたのが、この宗教的な動機からということであった。もっともこれに議論をはさんだ人も少なくなかった。若い頃の進歩的知識人の溜まり場になっていたカフェ・ペラヨの出入り はどう見ても敬虔なカトリックがすることではない。一番素直な考え方が、ガウディは教会の建設に閉じこもれば、誰からも干渉されず、自分の思い通りのことができるというものではないだろうか。ガウディは最大の理解者であったグエルを亡くし、恐慌の真っ只中にあって新しい仕事を得る社会的な状況でもなく、唯一創造活動にのめり込めるのがこのサグラダ・ファミリア教会であった。 
この時代よりすこし前、晩年のガウディの彷彿する色彩や造形を生むために貢献した建築家ジュジョールはというと、カサ・バトリョ、ラ・ペドレラの工事が終わり、ガウディに新しい仕事がなくなると、自活の道を探して師のもとを立ち去ってしまう。
ガウディはサグラダ・ファミリア教会建設に没頭したばかりに、ミスティックな建築家というラベルさえ貼られてしまったのだ。ただ、こういうことがガウディ個人にとって不幸であったかどうかは全く別な問題だろう。
今、ガウディを聖人に加えようという動きがあって、ヴァチカンはそれを今その検討を開始することを許可したから具体的にそれが始まったことになる。この辺りの議論が再び持ちあがるのは間違いない。

続いて、ガウディのガイド
市内の作品、ガウディと縁のある場所、市外のガウディの作品と縁のある場所の順で紹介します。これでガウディの完全なガイドブックになると思います。