ペドロ・マチューカ

Pedro Machuca
生:トレド/不詳 没:グラナダ/1550年
 スペインの建、画。貴族の家庭に生まれる。建築を学ぶために長年イタリアに滞在。ミケランジェロ*の弟子ともなる。1520年スペインに戻るとグラナダの王室礼拝堂の画家として働く。またハエンのカテドラル、ウクレスのサンチャゴ騎士団のために働いている。ただし、マチューカは建築のギルドに入っていなかったため、建築に関係していたにもかかわらず、直接タッチすることができなかった。その例外として1526年のカール5世(在位1519〜56年)がグラナダ訪問した時、アルハンブラ宮内に宮殿(後のカルロス5世宮と呼ばれるもの、1527〜92年)の建設を思い立ったが、これがマチューカに依頼され、作品を自ら実現することができた。この宮はイタリアン・ルネサンスのスペインでの唯一の作品といわれている。マチューカの死によってその子●ルイス(Luis)が建設を続行させるが、ウィトル−ウィウス*を知り、イタリア建築(特にブラマンテ*とラッファエッロ*)に通じていたことがこの作品からわかる。またアルハンブラ宮内ではこのほかカルロス5世の噴水、グラナダの門が彼の手になっている。