ポブレ修道院修復計画 Reial Monestir de Santa Maria de Poblet

所在地:Poblet
1870年
レウスの学校時代級友エドゥアルド・トダ(Eduardo Toda Güell,1855〜1941年)、ホセ・リベーラ(José Ribera Sans, 1852〜1912年)とシトー派の修道院の再興計画を作った。これを後年、級友のひとりで外交官を引退したトダが発表している。無論実現されなかったが、これがもし正しいとすればガウディの最初のプロジェクトと言えるかもしれない。
トダの後年の回想によれがガウディは修道院の全体のプラン、修道院の紋章を描いている。確かに1869年の夏休みを利用して、エスプルガ・デ・フランコリ(L'Espluga de Francolí)にある、リベーラの姉の家を頼りに泊り、実際に修道院を探索していたことは確かである。後に外交官、エジプトで発掘の業績もあるトダは退官後この再建計画に力を注ぎここに葬られている。現在ではその努力もあってか修復もかなり進み、修道院として機能しているので、境内では茶色に太い縄を腰に巻くというこの宗派の修道僧がちらほら見られる。1991年にはユネスコの人類の遺産としての指定を受けた。
サイト:http://www.poblet.cat/index.php?&&&&ZXM%3D
アクセス:バルセロナから110km, RenfeではL'Espluga de Francolíまでタラゴナからもあり、エスプルガから4Km.
参考:http://d.hatena.ne.jp/Arquitecto+AntoniGaudi/20110716/1310925807