ホアン・マドラソ・クンツ

Juan Madrazo Kuntz
生:マドリッド1829年 没:同1880年
肖像画家である父ホセ・マドラソ(José de Madrazo y Agudo, Santander, 1781年〜Madrid, 1859年), また兄弟フェデリコ(Federico de Madrazo y Kuntz, Roma/1815年〜Madrid/1894年)、ルイス(Luis de Madrazo y Kuntz, Madrid/1825年〜Madrid/1897年),あるいは母方の祖父は著名なポーランドの画家(Tadeus Kuntz)というように、まさにアーティスト一家に生まれる。王室建築家ドミンゴ・ラフエンテ(Domingo Lafuente)に学ぶ。建築学校が設立されるとこれに入学1852年建築特別学校を卒業する。バレンシアのマエストロ・デ・オブラ学校の“計画”と“法規”の教授となる。後年マドリッドへ移り教鞭を取る。マドリッドでは測量を教え測量と民家の著作を残す。1869年にはレオンのカテドラルの工事長として任命され、大々的な修復作業をし崩壊を免れた。レオンの滞在中にはサン・イシドロの鐘塔(San Isidro, León)の修復計画、カジノ、市立病院改装計画、市の汚水計画なども立案。マドリッドではウニオン・デ・クーバ候の宮殿(Palacio de Conde de la Unión de Cuba, Calle de Hortaleza, 19), カラタオラバスの教会のファサード改装(Calatravas, Calle Alcalá), あるいはソル広場に面する建物のファサード改装計画(Plaza del Sol), オビエではカテドラルの祭壇、バルダキーノ(Oviedo)などを残している。

《参考文献》
http://oa.upm.es/6596/1/Navascues_20.pdf

マドリッドのカラトラバスの教会