カルダス・デ・モンブイの給水計画 Distribució de aguas en Caldes de Montbui

1878〜80年
10年ほど前にある研究者によって発見された図面にガウディのサインが見つかった。この図面は市役所の申請用の図面で、しかも建築のプロジェクトではない。工事は翌年の1879年の7月から始まり、翌年の1880年まで約1年間続いたという記録が残されている。この仕事でガウディは3200レアーレス(イサベル2世が出した銅、銀、金貨の単位)を受け取っていいる。このプロジェクト依頼の経過というのは、他でもないカタルーニャ科学遊覧協会に絡んでいる。ガウディは団体行動が嫌いで団体に所属しなかったのだが、その例外が遊覧協会(Associació Catalanistas d’Excursions Cientifiicas)であった。マタロの友人であり、労働組合のプロジェクトの依頼主であったエドゥアルド・カニベイ(Eduardo Canibell)が1876年11月16日に設立したこので、ガウディも誘われて1879年4月29日に会員になっている。この会で南フランスまでも遠出してカタルーニャのモニュメントに触れ、文化、知識を深めていったのだが、同時に会員との親交を深めていった。その一人にジョアキン・M. デ・セントメナント侯爵(Joaquim M. de Sentmenant)がいた。ガウディは侯爵らと同会の1879年11月25日に当時修復していたバルセロナ郊外のグラノジェーレス(Granollers)の教区教会を視察して、レポートを書いているが、翌月の12月11日にはガウディは協会の委員に任命されている。生涯にわたって例外的な事実であった。
しかしこの頃ガウディは侯爵が大地主となっていたカルダス・デ・モンブイ給水計画を製作し仕事をもらっていた。このカルダス・デ・モンブイはバルセロナから35Kmにあるローマ時代から鉱泉で知られている村である。しかしその頃は飲料水を雨水に頼っていたため水不足がたびたびあって、これを改善するために地下水を水道水に使うという計画がガウディによって立案された。